引退して一番キツかったのは、名刺がなくなったことかもしれない
事業承継で代表取締役を退いた先代経営者が、初対面の人との挨拶で言葉に詰まる本当の理由とは?
会長の喪失感の正体
ゴルフコンペのあとの懇親会。
乾杯が終わって、隣に座った初対面の男性が、ビールを注ぎながら言いました。
「村上さんは、今は何をされているんですか?」
その瞬間、村上さんの右手が、すっと上着の内ポケットに伸びました。
40年以上、毎日そうしてきたように。
まるでそれは無意識の習性のようです。
でも、内ポケットの中で、彼の指先には、何にも触れませんでした。
「いやいや、まあ、もう年ですからなぁ、今は隠居ですわ」
そう言って笑うと、相手も「ほう、いいですねぇ」と笑い返して、会話は、そこで途切れました。
帰りの車の中。
ハンドルを握る奥さんが「今日も楽しかったですか?」と聞いても、村上さんは「ん?…ああ」とだけ答えて、助手席の窓の外を、ずっと見ていました。
自分でも、なぜだかよくわからない。
でも、あの一瞬、手が伸びた先に何もなかった感覚だけが、妙に胸に残っているんです。
その瞬間、胸の奥からこみ上げてきた“喪失感”のようなものが、彼の過去のすべてとプライドを押しつぶしたかのような。
楽しかった一日を台無しな気分に陥れたものの正体は、いったい何だったのでしょうか?
30 Seconds Summary
私が、これまで多くの“引退した経営者”から話を聞く中で、一番強く感じたことは、ほぼ全ての人が、説明できない大きな喪失感を持っているということです。
事業承継で息子に社長の座を譲り、会長すらも退いた先代経営者が、引退後に一番堪えるのは、実は仕事を失ったことではないのかもしれません。
本当にキツいのは、「自分が何者なのか」を、初対面の相手に一瞬で手渡す手段を失ったことなのかも知れないんですよね。
この記事では、社会学の「役割離脱(Role Exit)」という視点から、名刺を失った先代がなぜ言葉に詰まるのかという構造を整理して、その穴を埋める一つの選択肢として「回顧録」というものをご紹介します。
この記事は、あなたのために書きました。
金属部品の加工会社を一代で育て、創業から42年。
5年前に息子さんへ社長を譲り、2年前に会長も退いた、村上修三さん、73歳。
奥さんには「時間が出来てええじゃない、これからは自分の好きなことをすりゃあええよ」と言われるけれど、なぜか気持ちが晴れない。
そんな村上さんのような先代の方と、最近、親父が何となく元気がないと感じている息子さんに、読んでいただけたらと思います。
知ってみると、そこにこれほどの大きく複雑な心理構造が隠れているのかと、驚かれるかもしれません。
あの名刺一枚に、何が入っていたのか
ここで少し、私自身(霧香)の話をさせてください。
私は30年、大きな会社の人事にいました。
名刺を差し出すと、相手がまず見るのは、間違いなく会社名です。
世界中のどこへ行っても、知らない人を探す方が難しい会社の名前。
そこで、相手はまず身構えます。
そして、人が次に目をやるのは、当然、肩書きです。
そこに、「人事部長」とあれば、相手はさらに緊張します。
誤解のないように言っておきますが、これは「どうだ、俺は偉いんだぞ!」と見せつけるためのものではありません。
紙切れに書かれた、たった二つの情報だけで、相手は、話し方と話す内容を整えてから、口を開くようになります。
実は、名刺には、そういう働きがあるんです。
そして、その肩書きを持ちながら腰が低いと、それだけで「この人は人格者だ」という印象になるんですよね。
では、その名刺がなくなったらどうでしょうか?
私が同じように、謙虚な態度でいたとしますね。
だけど相手はきっと、「なんだ、ただのじいさんか」と思うかもしれません。
私の態度は、どちらも何ひとつ変わっていないのに。
受け取られ方だけが、真逆になるんです。
いいですか?繰り返しますが、たった二つの情報だけです。
名刺の力と、その効力は、それほど絶大だということを知って欲しいのです。
ましてや、そこに「代表取締役」となれば……。
中小企業の社長さんが、なぜか「代表取締役社長」より「代表取締役」とだけ書くのを好むことに、気づいている方も多いと思います。
「社長」は、実は法律上の決まりのない呼び名です。
でも「代表取締役」は、登記簿に載る正式な役職。
銀行借入に個人で判を押し、会社が傾けば自宅まで背負う。その覚悟の印のような五文字なんですよね。
このように、社長を譲り、会長を退くまでの間に、先代が降ろしたのは、「社長」という呼び名だけではありません。
法的に会社を代表する、この五文字そのものなんです。
我々の世代は、今の若い人ほど、肩書きと自分を切り離して考えることができません。
私も65歳(1961年生まれ)。
バブルの時代を現役で走ってきた一人ですから、そのことが痛いほどわかります。
まだまだ日本人は、肩書きで感情が動くのかもしれません。
悲しいことですが、これが事実です。
そのあたりに、真理が隠れているような気がしませんか?
実は、ここからが面白いところです
ここからまた、私が実際に出会ってきた、クライアントの話をします。
ただし、お名前や具体的業種などは伏せますのでご容赦ください。
以前、私がデコーダーとしてかかわった、ある先代経営者のお話を伺っていた時のことです。
デコーダーとは、先代の頭の中にある判断の基準を聞き取って、言葉にする仕事のことです。
創業当時の苦労話を3時間ほど伺って、ふと話が途切れた時でした。
先代がこう呟きました。
「そう言えば……」
そう言いながら立ち上がって、机の引き出しを開けたんです。
そこから取り出したのは、輪ゴムで束ねた名刺の束。
角が、少し黄ばんでいました。
「もう使わんのになぁ、なんでかわからんが、捨てられんのですわ」
そう言って、先代は束を指でぱらぱらとめくりました。
そして、少し照れたように笑って、こう言ったんです。
「引退して一番キツかったのは、これがなくなったことかもしれんな」
正直に言うと、私はこの時、ボイレコの録音を止めずにいてよかったと思いました。
3時間、会社の歴史を順番に語っていた間には、一度も出てこなかった言葉だったからです。
私はいつも、長い会話を通して、この「そう言えば」を待ち続けているのです。
さらに面白かったのは、その後でした。
「それ、どうして捨てられないんでしょうかね?」と私が聞くと、先代はしばらく黙って、「わからんのぉ」とだけ言いました。
実はコレ、本人ですら、説明できないんです。
でも、この時の私には、この「わからんのぉ」が、とても大事なサインに見えました。
自分から「そう言えば」と言って、名刺の束を出してきた。
なのに、理由は説明できないわけです。
これは、先代の中に、まだ言葉になっていない大切な何かが眠っている時に、よく起きることなのです。
このように、本人ですら気づいていない、判断や価値観の土台。
私はそれを「思考資産」と呼んでいます。
※「思考資産」とは?……もしよければ私の著書「思考資産」を読んでみてください。
あの輪ゴムの束には、肩書きだけではなくて、何十年分もの「自分は何者で、何を背負ってきたのか」が、ぎゅっと詰まっていたのだと思います。
だから、捨てられない。
ごくごく、当然なんですよね。
つまり、この名刺というものが、引退した元経営者にとっては、ただの紙切れではなくて、特別な意味を持つものであるということです。
なぜ、名刺がないことが、こんなにキツいのか
ここでちょっとだけ少し硬い話になりますが、サラッと読み進めてくださいね。
社会学者のヘレン・ローズ・エボーは、元修道女や元医師、離婚した人など、長く担ってきた役割を降りた人々の話を丹念に聞き取りを行い、「役割離脱(Role Exit)」という考え方をまとめました。
エボーが明らかにしたのは、人は長年就いていた役割を降りても、その役割がきれいに消えるわけではない、ということなのですが。
何となくでもわかりますかね?
「元○○」という形で、本人の中にも、周囲の目の中にも、残り続けるわけです。
これを先代経営者に当てはめてみると、こうなります。
本人の中には、何十年も会社を背負ってきた「(元)社長」が、しっかりと残っています。
ところが、その「(元)社長」を相手に手渡す道具だけが、引退と同時に、手元から消えてしまうんです。
だから、初対面の人との挨拶のたびに、先代は次のような二択を迫られることになります。
・自分の歩んだ、激動の42年を、一から言葉で説明し直すか?
・「今はもう隠居ですわ、ただの爺さんです」と笑って、済ませるか?
前者は、自慢話に聞こえてしまいそうで、気が引けますし、とんでもなく長い話になりそうです。
後者は、何か大事なものを手放したようで、帰りの車で胸が重くなるでしょう。
あのとき、村上さんが内ポケットに手を伸ばしたのは、未練ではないのです。
40年以上、その一枚で自分を相手に手渡してきた人の、ごく自然な動きなんです。
単なる習慣という言葉だけでは説明できない、心理なのです。
つまり、先代が失ったのは、肩書きそのものではありません。
「自分というものを相手に手渡す手段」なんですよね。
| 観点 | 現役時代の名刺 | 名刺がない今 | 回顧録(Kindle+QRコード) |
| 初対面の自己紹介 | 一枚で済む | 口で説明するか、濁すか | QRコードを差し出せば済む |
| 相手に伝わるもの | 会社名と肩書き | ほとんど伝わらない | 何を考え、どう判断してきたか |
| 会話のその後 | 仕事の話につながる | その場で途切れる | 読んだ相手から連絡が来る |
| 手元に残るもの | 使わない名刺の束 | 何も残らない | 家族や会社に残る一冊 |
名刺の代わりになるもの
ここでもう一度、あのゴルフコンペの懇親会を思い浮かべてみてください。
「村上さんは、今は何をされているんですか?」と聞かれて。
今度の村上さんは、内ポケットではなく、スマホを取り出すところを想像してみてください。
「いや、こういうものを書きましてな、良かったら読んでみてください」
スマホの画面に表示された“QRコード”を、相手がその場で読み込む。
表紙には、村上さんの名前と、42年前の創業当時の写真。
「村上修三・回顧録:42年の軌跡」という本の表紙。
その夜、相手は帰りの電車で、数ページを読み進めるかもしれません。
そして翌日、メッセージが届くのです。
「村上さん、昨日はありがとうございました。回顧録、少し読ませて頂きました、良かったら、あの創業3年目の資金繰りの話、続きをぜひ直接聞かせてください!」
現役時代の名刺は、肩書きを手渡す道具でした。
ところが、この「回顧録」は、その人がどう生きて、何を考え、どう判断してきたかを手渡す道具になります。
しかも、私がお手伝いした村上さんには、豪華な装丁を施した実本と併せて、Kindleでも出版したのです。
なぜなら、Kindleならばスマホ経由のQRコード一つで、どこでも、何度でも渡せるのです。
もちろん、名刺のように、切らすこともありませんからね。
当然ながら、きちんと豪華に装丁された一冊の本には、手に取った時の重みや、家族の本棚に残り続ける価値があります。
家族や近しい人に、自分の誇りも載せて手渡せます。
ただ、それはまた別のお話です。
初対面の挨拶で「自分を手渡す」という意味では、「名刺代わりのKindle」が、何よりの一枚になると、私は思っています。
最初の章で、肩書きのない謙虚さは「ただのじいさん」に見えるかもしれない、と書きました。
でも、回顧録を読んだ相手にとってはぜんぜん違います。
目の前の腰の低い老人が、実は42年間も、社員とその家族の暮らしを守ってきた偉大な人だったわけです。
その驚きは、名刺の肩書きよりも、ずっと深く相手の心に残るものであるはずです。
どうでしょうか?
たった一つの“QRコード”のように見えるかもしれませんが、ここから先代経営者の喪失感のような悲愴が見えますか?
先代経営者の皆さまへ
あなたが、名刺がなくなって寂しいと感じるのは、決して弱さではありません。
それだけ長く、あの一枚に恥じない仕事をして、会社を背負ってきた証拠ですから。
生きた証であり、誇りであることは間違いありません。
「もう隠居の爺さんですわ」で済ませてしまってきた、あなたの何十年かは、本当は、まだ誰にも手渡されていないだけなんだということを、強く認識されると良いと思います。
息子(現社長)さんへ
最近、親父が何となく元気がないと感じていませんか?
それはきっと、仕事を失ったからではなくて、自分を語る手段を失ったからかもしれません。
もちろんこれが全てではありませんが、要因の一つだと思ってみてください。
「親父の人生、本にしてみないか」と切り出すのは、正直、照れくさいと思います。
でも、その一言が、父親にとっては、新しい名刺を手渡されるのと同じ意味、もしかするとそれをはるかに超える“父親にとっての意味あるもの”になるのかもしれません。
良かったら、私の著書「だから私は回顧録を書く」を読んで下さると、さらに深い理解にたどり着けるかもしれません。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ(夕燈)
デコーダー/心理カウンセラー/作家
もしも、この「名刺のない自分を、どう手渡すか」というテーマにご関心を持たれた方は、ぜひ以下の記事もあわせてお読みください。
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それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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