回顧録という選択
自分史でも、市販の回顧録でもない。経営者としての判断基準そのものを遺す「真の回顧録」という選択について。
会社は、継げます。 けれど、判断は、継げません。
先代が三十年、四十年とかけて積み上げてきた「なぜそう決めたのか」という判断基準は、決算書にも、契約書にも残りません。
それはなぜか?
その「判断基準=価値観」は本人の頭の中にしかなく、構造化もされず、言葉にされたことすらほとんどないからです。
だから、「真の回顧録」という選択があります。
世の中で「回顧録」と呼ばれるものの多くは、著名人が引退後に、ライターの手を借りてまとめた、栄光と挫折の記録です。
書店に並ぶ、経営者や政治家の回顧録も、多くはこの形をしています。
自分史は、年表です。
回顧録は、その年表に物語を添えたものです。
けれど、私たち研究所が遺すのは、そのどちらでもありません。
「なぜ、その判断をしたのか」という、経営者の頭の中にしかない判断基準そのものを、デコードという技術で構造化し、遺す。
それが、霧香式回顧録――真の回顧録です。
【回顧録という選択を見に行く】→ 先代が生きてきた証を、次代に残す。