契約書に判は押した。なのに、なぜこの後味は消えないのか|顧問弁護士のジレンマ
事業承継における株式譲渡契約は、無事に完了した。書類の上では、すべてが終わっている。
それなのに・・・
30-Second Summary(要約)
この記事は、事業承継の場に立ち会う顧問弁護士の苦悩に対しての、理由と解決を導くためのものである。
弁護士にとって、事業承継案件のゴールは契約の完了である。
しかし、書類上の手続きがすべて終わったはずなのに、依頼者(先代・後継者)の様子から「まだ何かが終わっていない」という気配を感じ取ってしまう弁護士は少なくない。
本記事では、この違和感の正体を、心理学者ポーリン・ボスが提唱した「あいまいな喪失(Ambiguous Loss)」という概念を用いて構造化する。
契約という白黒つく世界と、当事者の中で区切りのつかない感情との間で、弁護士がどう立ち位置を取らされているかを整理し、結論として、弁護士が本来関与できない「思考資産」の継承という論点、経営深層論理(DDL)における存在論理の欠落という視点へ接続する。
契約書に判は押した。なのに、なぜこの後味は消えないのか。
(株式譲渡契約書、事業承継税制の特例申請、名義変更……。手続きは、すべて完了した。法的には、もう何も問題ない。)
(なのに、なぜだろうか? 最後の署名を終えた先代の表情が、ずっと頭から離れないんだよな。)
こんな独り言、事業承継案件を担当した弁護士の頭の中に、実は結構残るものなんですよね。
書類の上では、もう何も問題はないはずなのに
契約書は、白黒をつけるための道具です。
誰が何を持ち、誰が何を引き継ぎ、誰の責任がどこまでなのか。
すべて言葉にして、判を押して、確定させる。これが弁護士の仕事です。
事業承継案件でも、やることは基本的に同じです。
株式の譲渡、代表者変更、各種契約の巻き直し。
一つひとつ、漏れなく、正確に。
案件が完了すれば、依頼者からは丁寧にお礼を言われます。
「先生のおかげで、無事に終わりました!ありがとうございました」
でも、、、です。
この「終わりました」という言葉と、依頼者の表情が、どこかちぐはぐに見えることがあるんですよね。
言葉の上では感謝と安堵を語っているのに、目の奥には、まだ何かが残っている。
最後の署名を終えた瞬間、ほっとした顔よりも先に、ふっと寂しそうな表情がよぎる先代を、何度も見てきた弁護士は少なくないはずです。
法的には、もう何も問題はありません。
書類上、すべての手続きは完了しています。
それなのに、依頼者の中では、何かがまだ終わっていない。
この「終わっているはずなのに、終わっていない」という感覚、正体を知りたくなりませんか?
なぜ、契約は終わったのに、何かが終わっていない気がするのか
弁護士は、税理士や銀行員とは、少し違う立場にいます。
税理士や銀行員は、日々の業務を通じて、後継者や先代と継続的に関わり続けます。
だから、進行形の葛藤――言うべきか黙るか、貸すか渋るか――に、日常的に巻き込まれます。
一方で弁護士が呼ばれるのはどんなときでしょうか?
多くの場合、事態がすでに動き出してからですよね。
契約という「点」で関与し、その点を過ぎれば、基本的には関係が終わります。
つまり弁護士は、混乱がすでに進行し、ときには壊れかけた関係の後始末として登場することが多いんですよね。
そしてやっかいなのは、弁護士に求められている仕事が、あくまで「点」を綺麗に処理することであって、その手前や奥にある感情の整理ではない、ということです。
依頼者が本当に抱えているのは、法的な問題だけではありません。
むしろ、法的な問題は、もっと大きな何かの、ごく一部の表面に過ぎないことのほうが多いんです。
でも、弁護士に依頼できるのは、その表面の部分だけです。
「あいまいな喪失」という心理学の視点
実を言うと、この違和感には、心理学ですでに名前がついています。
あいまいな喪失(Ambiguous Loss)と呼ばれるものです。
心理学者ポーリン・ボスが提唱した概念で、対象がそこにいなくなったわけではないのに、心理的な意味では区切りがつかない、あるいは逆に、心理的にはまだそこにいるはずなのに、実質的にはもう失われている、という喪失の形を指します。
なんとなくわかるような気がしませんか?
もともとは、行方不明者の家族が抱える、「亡くなったとも生きているとも確定できない」宙ぶらりんの状態を説明するために使われてきた概念です。
ただ、この構造は、実は事業承継の現場にもそのまま当てはまるんですよね。
先代にとって、会社は単なる資産ではなく、自分の人生そのものだったりします。
契約上、株式は後継者に渡り、代表者の座も譲った。法的には、先代はもう経営者ではありません。
でも、心理的には、そう簡単に切り替わらないんですけどね。
会社という存在は、まだそこにある。
目に見える形で、今も動いている。
でも、そこにいる自分の役割は、もう失われている。
この「対象はあるのに、自分の位置づけだけが失われている」という状態こそが、あいまいな喪失の典型的な形です。
後継者側にも、これと似た構造があります。
会社を引き継いだ以上、経営者としての実権は自分にある。
でも、社内には先代の判断の痕跡があちこちに残っていて、自分がまだ「本当の意味でこの会社を動かしている」という実感が持てない。
ここにも、区切りのつかなさが漂っています。
弁護士は、この宙ぶらりんの感情の真っ只中に、契約という完全に白黒つく世界を持ち込む役回りを、否応なく引き受けさせられているわけです。
弁護士が”感情の宙ぶらりん”に立ち会わされる瞬間
面白いのは、この感覚が、依頼者の言葉ではなく、ちょっとした沈黙や仕草に表れることが多い、という点です。
最終契約の締結日、あるいは登記が完了した報告のとき。
手続き上は完全に終わっているはずなのに、依頼者がその場を、なかなか立ち去らないことがあります。
「他に何かご質問はありますか」と聞いても、「いや、特にないんですけどね……」と言いながら、雑談のような形で、会社を興した頃の話や、先代自身の若い頃の苦労話を、ぽつぽつと話し始めることがあります。
これは、弁護士に法的な相談をしているわけではありません。
むしろ、契約という区切りの儀式を終えた後に、どこにも行き場のなくなった感情を、たまたまその場にいた弁護士に、少しだけ預けているような状態なんですよね。
これって、弁護士としては、これにどう応じればいいのだろうかと、正直迷うところだと思います。
法律家としての職務は、もう完了していますから。
カウンセラーでもなければ、家族でもない。
それでも、この場にいる以上、何かしらの相槌を打たないわけにはいきません。
この「専門外だけど、無視もできない」という板挟みは、実は税理士や銀行員が抱えている葛藤と、根っこの部分でよく似ています。
ただ弁護士の場合、この葛藤が現れるタイミングが、案件の「最後」に集中しやすい、という違いがあります。
契約の外側にあるもの
依頼者が本当に求めているのは、法律的な解決だけではなく、多くの場合、自分の中の物語に区切りをつけてくれる何かなんだと思います。
ところが、契約書は、この区切りを与えてくれる道具ではありません。
当たり前の話ですが、契約書が扱えるのは、誰が何を持つか、誰の責任がどこまでかという、外側の構造だけです。
先代が何を大事にしてこの会社を動かしてきたのか、その判断の積み重ねそのもの――霧香さんが「思考資産」と呼んでいるもの――は、契約書のどこにも記載されません。
つまり、こういうことなのです。
あいまいな喪失の正体は、会社という「箱」は正しく引き継がれたのに、その中身である判断の論理、経営深層論理(DDL)でいう存在論理の部分が、契約とは別のところに置き去りになっている、という状態なんですね。
弁護士が感じる「終わっていない気配」の正体は、まさにここにあります。
書類上は完璧に終わっているのに、その奥にある本当の引き継ぎが、まだ手つかずのまま残っている。弁護士はその気配を、敏感に感じ取っているだけ!というわけです。
そしてこれは、当たり前の話ですが、担当してくれた弁護士の力量不足でも、依頼者への配慮不足でもありません。
そもそも、契約書という道具の設計上、扱えない領域に他ならないものだからです。
だからこそ、必要なのは、弁護士がその領域まで背負い込むことではなく、「ここから先は、別の専門性が必要な領域だ」と、はっきり線を引けることなんだと思います。
契約という点の仕事を、正確に、誠実に果たす。
そのうえで、その点の外側に残っている宙ぶらりんの部分については、それを扱う別の専門家がいる、と知っているだけで、弁護士自身の中にある「これでいいのだろうか」という後味は、ずいぶん軽くなるはずです。
最も弁護士という性質上、そのような感情は表に出さないのが暗黙のルールですから、一般的には、それを読みとることは難しいでしょうが。。。
比較表(弁護士が扱える範囲/扱えない範囲)
| 観点 | 契約書が扱える範囲 | 契約書の外側に残るもの |
| 対象 | 株式・資産・契約関係 | 判断の基準・優先順位・哲学 |
| 時間軸 | 手続き完了の瞬間で確定する | 手続き後も、当事者の中で続いていく |
| 完了の形 | 署名・登記による法的完了 | 心理的な区切り(あいまいな喪失) |
| 弁護士の役割 | 点としての正確な処理 | 別の専門性(思考資産の言語化)が必要な領域 |
おわりに
弁護士の心の中に残る後味は、仕事の詰めの甘さではありません。
契約という、白黒つける仕事を正確に果たしたからこそ、その外側に残った、白黒つかないものの気配に、敏感に気づいてしまう。
それだけのことなんですよ。
依頼者が最後に見せる、あの少し寂しそうな表情。
それは、弁護士の仕事の結果ではなく、契約という道具では扱いきれない何かが、まだそこに残っている証拠に過ぎません。
そう考えると、弁護士にとっての事業承継案件は、契約を完了させる仕事であると同時に、契約では終わらせられない領域があることを、身をもって教えてくれる仕事なのかもしれません。
実は、ここからが面白いところです!
いかがでしたか?
ここまでは、弁護士の視点から見た話でした。
でも、この「契約の外側に残るもの」という視点は、実はもう一つの角度からも語れます。
それは、後継者自身が、契約が終わった後になって、「何かが引き継がれていない」と、漠然と感じ始める理由です。
先代の判断は、なぜ契約書にも、本人の言葉にもならないのでしょうか。
そして、言葉にならないはずのものを、なぜ他人が聞き取り、構造として取り出すことができるのでしょうか――。
この問いこそが、経営深層論理(DDL)という考え方の出発点です。
契約という点では扱えなかったものの正体に興味が湧いた方は、ぜひ下の記事も読んでみてください。
【HUB記事】 親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない
ぜひ、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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