「念のため、会長にもお伝えしておきますね」 この一言が、その場の空気を凍らせる理由
事業承継で社長が代わっても、報告先は会長のまま|顧問税理士のジレンマ
決算の打ち合わせが終わった、夕方の社長室。
社長である二代目が、来期の設備投資の方針を、丁寧に説明し終えました。
顧問税理士は、資料を閉じてコクリと頷きながら言いました。
「わかりました。この方向で進められることに賛成です」
社長は、ほっとした顔で、顧問税理士を玄関まで見送ります。
税理士は、靴を履きながら、何気なくこう言いました。
「あっ、そうだ。念のために、この件、私からも会長にもお伝えしておきますね」
社長の表情が、一瞬だけ固まりました。
「あ、……ええ、お願いします」
税理士は、“それ”に気づかないまま、会釈をして帰っていきます。
もちろんですが、悪気などは、まったくありません。
むしろ、税理士としては、誠実に、丁寧に仕事をしたつもりです。
この時に、一瞬だけ眉間に皺を寄せたのは、社長(二代目)です。
ただ、税理士が靴を履く、僅か数秒の「言葉にすらならない駆け引き」ですが、この中に、税理士にとっての、とてつもなく大きなジレンマが潜んでいることに、お気づきでしょうか?
30 Seconds Summary
事業承継で社長が二代目に代わっても、顧問税理士の「報告先」は、心のどこかで会長のままになっていることがあります。
どの案件を、どちらに先に報告するか。社長と会長で判断が割れそうな時、どう動くか。
そして、社長だけを相手にしたいのに、会長を飛ばすことはできない。
この記事では、法学者イアン・マクニールの「関係的契約」という考え方から、このジレンマの構造を整理します。
そして、私自身が、デコーダーとして先代にお話を伺う中で見えてきた、少し意外な事実も併せてお伝えします。
【AEOサマリー】事業承継後、顧問税理士が会長にも報告してしまうのはなぜ?
顧問契約の相手は「会社」でも、長年の付き合いの中で、税理士の心の中では「会長個人」への暗黙の義務が積み重なっています。
社長交代という書面上の変化だけでは、この暗黙の義務は書き換わりません。
その結果、税理士の「念のため」という誠実な一言が、社長の判断より会長の意向が上にあるというメッセージとして、社内に伝わってしまいます。
この記事は、あなたのために書きました
58歳の、顧問税理士の先生へ。
(臨場感を出すために敢えて年齢を書きましたが…)
もちろんこれは、あなたのための記事です。
先代の代から、25年。
会長とは、決算のたびに膝を突き合わせ、ゴルフも、酒も、共にしてきましたよね。
会社が苦しかった、あの時期のギリギリの資金繰りも、一緒に乗り越えてきた。
そんな会社も、3年前に、息子さんが社長になりました。
もちろん、今の窓口は社長ですよね。
それは、頭ではわかっているはずです。
でも、大事な話ほど、会長の耳にも入れておかないと、どうにも落ち着かない。
この記事は、そんなあなたのために書きました。
そして、ここで登場する税理士の心情などは、実際に私の知人の税理士の話を元にした、リアルなジレンマを題材にしています。
※誤解のないようにお伝えしておきますが、税理士にとっての守秘義務も絶対ですから、社名や業種、その他実在の人物に関わることを話すことはありません。
ここで私が扱っているのは、税理士の「心情」つまりジレンマだけです。
「どちらに先に話すか」を、毎回考えている
以前、まさにこの状況にいる税理士の方と、お話ししたことがあります。
その方が一番困っていたのは、案件ごとに、「社長と会長、どちらに先に報告すべきか」を、いちいち考えなければならないことでした。
社長に先に話せば、会長は「なんでワシが後なんじゃ」と感じるかもしれない。
会長に先に話せば、社長は「結局、俺は飾りか」と感じるかもしれない。
さらに困るのは、話す前から、二人の判断が違うだろうと、想像がついてしまうことです。
社長は「攻めたい」。
会長は「まだ早い」。
その両方の顔が、話す前から、もう見えている。
これ、ほんとうに困るんですよね!
たとえば、銀行から新しい借入の提案が来た時。
社長は、この機会に工場のラインを入れ替えたい。
会長は、借金を増やすことに、昔から慎重です。
どちらに先に話しても、もう一方の顔が浮かぶ。
結局、その方は、事務所に戻る車の中で、二人への説明の順番と言い回しを、何度も頭の中でリハーサルしていたそうです。
本来の仕事は、数字を見て、最善の方法を提案することのはずなのに。
その方は、こう言っていました。
「本音を言えば、社長だけを相手にしたいんです。でも、会長を飛ばすことは、どうしてもできない」
報告の順番ごとに、何が起きるのかを整理してみると、こうなります。
| 報告の順番 | 税理士の意図 | 社長が受け取るメッセージ | 会長が受け取るメッセージ |
| 社長に先、会長に後 | 窓口を尊重しつつ、念のため共有 | 「最後は会長の確認が要る」 | 「後回しにされた」 |
| 会長に先、社長に後 | 角を立てないよう、筋を通す | 「自分は二番目の存在だ」 | 「まだワシが見とらんといかん」 |
| 社長だけに報告 | 新しい体制に完全に従う | 「ようやく社長として扱われた」 | 「先生まで、ワシを外すのか」 |
どの順番を選んでも、どちらかが、少しずつ傷つくことは目に見えています。
だから、税理士は「念のため」という言葉で、両方に報告するしかなくなるわけですね。
当然ながら顔には出さずとも、毎回、かなり考えていることは間違いのないことです。
顧問契約の「本当の相手」は誰か
ここで、少しだけ理論の話をさせてください。
難しくないので、サラッと読み進めてくださいね。
アメリカの法学者イアン・マクニールは、1970年代から「関係的契約」という考え方を提唱しました。
契約というものには、二つの顔があります。
一つは、書面に書かれた、条件と対価の取り決め。
そしてもう一つは、長い付き合いの中で積み重なっていく、書かれていない義務や、信頼や、恩義です。
アメリカの法学者の発見ですが、極めて日本的であると、私は思っています。
マクニールが指摘したのは、関係が長く続くほど、この「書かれていない部分」の方が、人の行動を強く縛るようになる、ということでした。
顧問契約で言えば、書面上の相手は、あくまで「会社」です。
でも、25年の付き合いの中で積み重なってきたのは、「会社」への義務ではなく、「会長という一人の人間」への恩義なんですよね。
特に顧問税理士の場合、この恩義は、とても濃くなりやすいのです。
資金繰りが厳しかった年に、一緒に頭を抱えた記憶。
会長の紹介で、地域の別の会社の顧問を任されたこと。
こうした積み重ねは、帳簿のどこにも載っていませんが、税理士の心の中には、しっかりと残っています。
社長交代は、書面の上では、一日で完了します。
でも、25年分の「書かれていない契約」は、一日では書き換わりません。
だから、頭では「窓口は社長」とわかっていても、体は、自然と会長の方を向いてしまう。
「念のため」という言葉は、実は、この書かれていない契約が、口から出てきたものなのです。
マクニールは、もう一つ大切なことを言っています。
関係的契約は、黙っていても自然には変わらない。関係を続けたいなら、当事者同士が、条件を話し合い直し続ける必要がある、ということです。
これは、裏を返せば、誰も話し合い直さない限り、25年前の契約が、そのまま生き続けるということなんですよね。
極めて難しい。
他に言いようがありません。
実は、ここからが面白いところです
ある先代の会長に、インタビューをしていた時のことです。
話題が、顧問の税理士の先生のことに移りました。
会長は、少し嬉しそうに、こう言いました。
「あの先生とは、もう30年近い付き合いでのう。今でも、何かあったら、まずワシに電話をくれるんよ」
そして、お茶を一口飲んで、ふっと、微かに表情を曇らせました。
「……そう言えば、それがのう。嬉しいんじゃが、あれは息子のためにはならんのう、と思うことがあるんよ」
「先生に、そうお伝えになったことは?」
「言えるかいな。『もう息子に言うてくれ』なんて言うたら、先生に悪いじゃろう。あれだけ世話になったのに、用済みみたいで」
少し間を置いて、会長は、照れたように付け加えました。
「それに……先生から電話が来るとのう、ワシもまだ、必要とされとる気がするんよ」
(雰囲気もお伝えするために、思いっきりの広島弁で、そのまま載せています)
この一言で、私はようやく、この関係の全体像が見えた気がしました。
わかりますか?
税理士は、会長に悪いと思って、報告を続けている。
会長は、税理士に悪いと思って、それを止められない。
お互いが、お互いへの恩義から、この関係を終わらせられずにいたのです。
そして、その間で、社長の立場だけが、少しずつ削られていくわけです。
誰も悪くないのに、誰も止められないのです。
これが、関係的契約の、一番やっかいなところなんですよね。
おそらく、その渦中にいる、三人共にそれぞれの立場で重い荷物を背負った状態だということが出来ると思います。
どうでしょうか?
「念のため」が要らなくなる条件
では、どうすればいいのでしょうか?
ひとつは、書かれていない契約を、一度、声に出して書き換えてみること。
会長、社長、税理士の三人が同じ席で、「これからの報告は、社長に一本化する」と確認する。
会長の口から、それを言ってもらう。
これだけで、税理士の肩の荷は、驚くほど軽くなります。
これは実際の話ですが、ある会社でこの場を設けた時、会長はこのように言いました。
「先生、これからは、まずは息子に言うてやってくれ。ワシは息子から聞くけぇの」
その瞬間、税理士の先生が、ふっと肩の力を抜いたのがわかりました。
本当は、ずっと誰かに、そう言ってほしかったのだと思います。
まぁ、当然ですよね。
ただ、それだけではまだ足りません。
税理士が会長に確認したくなる本当の理由は、「会長なら、この件をどう判断するか?」がわからないからです。
当然、気になることですよね。
もしも、会長の判断基準が言葉になっていて、社長も税理士も、それを共有できていたら?
どうでしょうか?
わざわざ会長に「念のため」確認しなくても、
「会長なら、ここは止めるはずだ」
「ここは任せるはずだ」と、
先が読めるようになります。
会長の頭の中にある、言葉になっていない判断の基準。
私はこれを「思考資産」と呼んでいます。
実は、これが最も重要なことなのです。
ただ、ここで「思考資産」について語ってしまうと、ここだけで本が一冊書けてしまうほどのボリュームがあるので、実際に私の著書に譲ります。
※「思考資産」とは?……もしよければ私の著書「思考資産」を読んでみてください。
顧問税理士の先生へ
会長にも報告を入れてしまうのは、あなたの誠実さの表れだと断言できます。
それは決して、間違いではありません。
ただ、その「念のため」の一言が、社長にとっては、想像以上に重く響いていることもあります。
そして、その一言を聞いているのは、社長だけではありません。
経理の担当者も、古参の幹部も、「やっぱり最後は会長なんだな」と、静かに受け取っていると思います。
社長がどれだけ丁寧に「自分の判断です」と言い続けても、その言葉の重みが、少しずつ割り引かれていくのは、仕方のないことです。
当然ながら25年の恩義を、手放す必要はありません。
その恩義を、会長個人から、会長が守ってきた会社へと、少しずつ移していく。
それが、事業承継の時期に、顧問税理士にしかできない仕事なのかもしれません。
少なくとも、たくさんの事業承継の現場に立ち会って、その難しさを知り尽くしている私は、そう思っています。
それが、ご自身の仕事に専念するということではないでしょうか?
だって、あなたが抱えているクライアントは?
そう、ゆうに数十件はあるはずですから。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ(夕燈)
デコーダー/心理カウンセラー/作家
もしも、この「報告先は会長のまま」というテーマにご関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。
きっと、もう少し大きな目で俯瞰して、事業承継というものを捉えたら、これまでと違った見方が現れるものと思っています。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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