「それ、私の仕事じゃないんだけど」と、心の中で呟く税理士のジレンマ
事業承継の現場で税理士が抱える”役割葛藤”の正体とは?
「先生、聞いてくださいよ。うちの息子、本当に何を考えているのか……」
月次訪問。
予定通り試算表の説明を終えた、その直後のことでした。
社長は、ペンを置いて、深いため息をつきながら吐き出したのです。
対面に座った顧問税理士は、一瞬、迷いました。
それは、税務の話ではありません。
次の約束の時間も決まっています。
でも、ここで「それは私の専門ではないので」とは、言えない空気が、確かにありました。
30-Second Summary
これはほんとうによく聞く話なのですが。
顧問税理士というのは、税務・会計の専門家として契約されているはずなのですが、実際の訪問現場では、後継者や家族間の感情的な相談に巻き込まれることが、少なならずかります。
何十件もの顧問先を抱えているわけですから、一つの会社、一人の社長の愚痴に耳を貸す時間は、彼らにとって、この上ないロスなのですが…。
なぜ、言っても仕方ないとわかっているのに、社長はこんなにも愚痴を並べてしまうのでしょうか?
これは、税理士が非効率だからでも、お節介だからでもなく、心理学でいう「役割葛藤」という構造が、静かに働いているためなのです。
この記事では、なぜ税理士がこの巻き込まれから逃れられないのか、そして本来この役割は誰が担うべきなのかを整然と整理します。
顧問先の事業承継に悩む税理士の方はもちろん、後継者・経営者の方にも、「なぜ税理士に、経営の悩みまで相談してしまうのか?」を知るきっかけとして、お読みいただければと思います。
契約書には、書かれていないはずの仕事
顧問契約書を、改めて読み返してみてください。
そこに書かれているのは、記帳代行、税務申告、決算、月次巡回監査。
どこにも、「後継者の家族間の悩み相談」という項目は、ありません。
当然ながら、あるわけがないですよね。
それなのに、なぜだか、この相談は、税理士のところに集まってきます。
ほんとうに不思議なことだと思われますが、実はそこに見えない必然が隠れているのです。
ではなぜ、弁護士でも、カウンセラーでも、コンサルタントでもなく、税理士なのでしょうか?
実は、理由は「あっけないほど単純」なのです。
それは、税理士だけが、毎月、その会社を訪問しているからです。
「え?それだけ?」ですよね。
確かに考えてみれば…。
銀行員は、融資の時だけ来ます。
弁護士は、契約や紛争の時だけ来ます。
でも税理士は、毎月、決算書を見に来ますよね。
その「定期的な接触」こそが、社長にとって、一番心を許しやすい相手になってしまう理由なんです。
実は、ここが一番面白いところです
知り合いの税理士の方が、こんな経験を話してくれたことがあります。
その日は、いつも通り、試算表の数字を確認していたそうです。
特に問題のある数字ではありません、いつも通り。
なので淡々と、説明を進めていました。
ところが、話が一区切りついた瞬間、社長がふと、こう漏らしたのです。
「息子には、もう任せたつもりなんですけどね。でも、あいつが決めたことに、いちいち口を出してしまうんですよ。わかってるんです、良くないって。でもね、つい」
税理士は、ペンを止めました。
これは、明らかに、税務の話ではありません。
でも、ここで「では、次の議題に」と切り替えるのは、あまりにも冷たいがするし。
社長は、他の誰にも言えなかったであろう本音を、今、目の前で吐き出しているのです。
結局、その日の訪問は、予定していた時間より40分も長引きました。
結局、話していたのは、ほとんどが、後継者との関係についてです。
税理士は、帰りの車の中で、思ったそうです。
「今日は、本来の目的の税務の話って、5分もしてないよな……」
路肩に車を停めて、次の顧問先に“少し遅れる”旨の電話をしながら、何とも言えない気分になったとのことです。
なぜ、税理士だけが、ここまで巻き込まれるのか?
淡々とした説明になりますが、これは、私の専門である心理学でいうところの「役割葛藤(Role Conflict)」という現象で、説明がつきます。
役割葛藤とは?
一人の人間が、複数の異なる役割期待を同時に背負わされた時に生じる、心理的な緊張状態のことなのです。
注意してみると、この時の税理士には、二つの役割が、同時に課せられています。
一つは、本来の契約上の役割である「税務・会計の専門家」です。
もう一つは、現場で実際に求められる役割。
「経営者が唯一、本音を話せる相手」です。
この二つは、本来、重なる必要のないものですし、重なることがおかしいはずです。
でも、毎月訪問するという接触頻度の高さが、この二つを、否応なく重ねてしまうのです。
税理士としても、「これは専門外だ」とわかっていながらも、聞かないという選択肢を、事実上、奪われています。
なぜならば、万が一その話を聞かないと退けたら、「冷たい先生だ」と思われてしまい、顧問契約そのものに、影響しかねないからです。
つまり税理士は、「聞きたくないが、聞かないわけにもいかない」という、板挟みの中で、毎月、この葛藤を静かに処理し続けているわけです。
この状態、なんとなく想像がつきますよね?
この「役割葛藤」という状態、実はほんとうに多くあります。
でも、ほんとうにどうしていいのかわからない状態ですよね。
「それは私の仕事じゃない」とは言えない、もう一つの理由
ここで、もう一つ、大事な視点があります。
多くの税理士の方は、こう思っているはずです。
「専門外のことに首を突っ込んで、もし変なアドバイスをして、こじれたらどうしよう?」
これは、極めて健全な危機感です。
税理士は、家族療法の専門家でも、経営コンサルタントでもありません。
中途半端に踏み込むことは、むしろリスクにさえなり得ます。
でも、だからといって、聞いた話を完全に聞き流すことも、できません。
なぜなら、社長は、答えを求めているわけではなく、ただ、聞いてほしいだけだからです。
この「聞くけれど、踏み込まない」という、絶妙な距離感を、税理士は、誰に教わるでもなく、現場で身につけていくしかありません。
多くの税理士が、いつもせわしなくするとか、話しにくい雰囲気を醸し出すとかの“防御策”を講じるということを聞きますが、それでもほとんどの社長は、お構いなしに話します。
なぜなら、こっちは顧問料を払っているんだからという、ちょっと意味不明な意識があるから。
これも、当事者にしかわからない不鮮明な心理です。
税務の相談/家族間の相談/その狭間で税理士が実際にしていること
| 観点 | 税務の相談 | 家族間の相談 | 税理士が実際にしていること |
| 契約上の位置づけ | 明確に業務範囲内 | 完全に業務範囲外 | 範囲外と自覚しつつ、聞き役を担う |
| 税理士が持つ専門性 | 十分にある | 専門的な訓練はない | 専門性がないまま、傾聴だけを担う |
| 本来、誰が担うべきか | 税理士 | 家族療法・カウンセリングの専門家 | 担い手不在のまま、税理士に集中 |
こうして整理すると、税理士が背負っているものの大きさが、よくわかると思います。
この構造は、誰にとっても、良い状態ではない
税理士にとっては、専門外のストレスを、毎月抱え続けることになります。
社長にとっても、実は、良いことばかりではありません。
税理士は、家族の問題を扱う専門家ではないため、返ってくるアドバイスは、あくまで”聞いた印象”の域を出ません。
本当に必要な、後継者との判断基準のズレを解消する専門的な働きかけは、ここでは、行われていないのですから。
つまり、税理士が話を聞けば聞くほど、社長は「相談できた」という安心感だけを得て、根本的な問題は、何も解決しないまま、次の月次訪問を迎えることになります。
この(当事者にしてみたら)謎の心理的ループは、実は、誰も得をしないのです。
税理士の皆さまへ
もしも、顧問先の社長や後継者から、税務とは関係のない相談を受けることが増えているなら。
それは、あなたが頼りにされている証拠であると同時に、本来、別の専門性が必要な領域に、一人で立たされているということでもあります。
当然ながら無理に踏み込む必要はありません。
「それは、私よりも適任の人間がいるかもしれません」と、正直に伝えることも、一つの誠実さだと思います。
ただ、それは非常に難しいことだと思います。
それは、あなたが「実はその道のプロがいる」ということを知らないからかもしれません。
会社を継ぐということは、決算書や組織図を引き継ぐことだけではありません。
その奥にある、先代と後継者の間の、言葉にならない判断基準のズレを、解消していく必要があります。
そしてその役割は、税理士が、たった一人で抱えるものではなくて、専門の第三者と分担していくべきものだと、私は考えています。
後継者・経営者の皆さまへ
もし、顧問税理士に、経営や家族関係の悩みを相談することが多くなっているなら。
それは、税理士を頼っているというより、他に相談できる相手が、いないだけなのかもしれませんよ。
先代の判断基準がわからない、後継者との間ですれ違いが続く。
そうした悩みには、税務とは別の、専門的な向き合い方があります。
おそらく、何の悪意もなく、ついつい世間話のつもりで「ちょっと先生、聞いてくださいよ」という、この一言が、実は大きなロスを生んでいるかもしれません。
もっと言うなら、本来あるべき所に話せば解決することを、毎月見る馴染みの先生に、ついつい愚痴のように話してしまうことで、問題を先送りするだけの、悪手に陥っている可能性すらあります。
ここは、冷静な一手が望まれることですね。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ
デコーダー/心理カウンセラー/作家
もしも、この「税理士が巻き込まれる構造」にご関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。
きっと、興味深く読んでいただけるものと思います。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

※「思考資産」とは?……もしよければ私の著書「思考資産」を読んでみてください。
それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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