「なぜ、あんなに事務的だったんですか?」と言われるたびに、心のどこかが軋む|顧問弁護士のジレンマ
数字は、完全に公平だった。なのに、一人だけ、いつまでも納得していない。
30-Second Summary(要約)
この記事は、これまで私が実際に出会って見てきた、事業承継・相続の場に立ち会う顧問弁護士の苦悩に対しての、理由と解決を導くためのものである。
弁護士のビジネスライクな対応は、しばしば「冷たい」「人情がない」と受け取られることがある。
しかし本記事は、この対応が依頼者を守るための必然的な誠実さであることを示したうえで、心理学でいう「手続き的公正(Procedural Justice)」という視点から、それでもなお当事者(特に非承継者側)が納得できない理由を構造化する。
弁護士は職業倫理上、依頼者以外の声を等しく拾うことができない。
しかしながら、この必要な距離こそが、皮肉にも「聞かれなかった」という感覚を生み、弁護士自身の中にも解消できない後味を残す。
結論として、この構造の外側にある、経営深層論理(DDL)による判断基準の言語化という論点へ接続する。
「なぜ、あんなに事務的だったんですか」と言われるたびに、心のどこかが軋む。
(株式は、法律に沿って正確に分配した。代償金も、税理士と連携して、寸分の狂いもなく計算した。数字上は、完璧に公平なはずなんだ。)
(なのに、なぜ、あの息子さんだけは、まだ納得していないんだろうか。俺の説明の、どこが足りなかったんだろうか。)
こんな独り言、相続や事業承継の場に立ち会った弁護士の頭の中に、実は何度も繰り返されているんです。
だけど、ぜんぜんそんな風には見えませんよね?
どこまでも事務的で、冷たくあしらわれた感じがして。
時には「感情あるんですか?」と言いたくなることもあったと思います。
とは言え、彼らの仕事は完璧なので、突っ込むこともできないし。
実はこの微かなモヤモヤ、弁護士本人も感じていて、当然依頼者も感じているのだから、双方が同じように思っているのに。。。
どうしようもない構造の中での仕事なのです。
数字は合っているのに、なぜ納得してもらえないのか?
弁護士の仕事は、法律という物差しで、公平を作ることです。
株式の評価、代償金の計算、遺留分への配慮。
すべて、感情を挟まず、正確に、粛々と進める。これが専門家としての誠実さだと、弁護士自身も信じています。
事業承継や相続の場面では、後を継ぐ側と、継がない側がいることがほとんどです。
継ぐ側には会社の株式を、継がない側には現金での代償を、という形で、法律的にはきちんと帳尻を合わせる。
ですから数字だけを見れば、非の打ちどころはありません。
それなのに、です。
会議室を出るとき、継がなかった側の表情に、まだ何か引っかかりが残っている。
「先生の説明はよく分かりました、数字にも文句はありません」と言いながら、その声のトーンに、納得しきれていない何かが混じっている。
こんなケースはよくありますが、弁護士としては、正直、困惑します。
数字は合っている。手続きにも瑕疵はない。なのに、なぜ?
弁護士の「事務的な態度」は、実は依頼者を守るためのもの
ここで、弁護士の立場から、少し弁明させてください。
(ここから内容は、実際に私がいつもお付き合いしている弁護士さんとの対話から、ポイントだけを抜き出したものです)
あの「事務的な態度」、実は好きでやっているわけではないんです。
とんでもなく冷徹な人間に見えますもんね。
弁護士は、依頼者の代理人です。
継ぐ側の依頼を受けている以上、継がない側の家族に対しても、常に公平な言葉遣いと、一定の距離感を保たなければなりません。
だから感情的に寄り添いすぎれば、それは依頼者の利益を損なう可能性がある行為になります。
たとえば、継がない側の家族から「本当は納得していない」という胸の内を打ち明けられたとします。
ここで弁護士が深く同情し、依頼者に対して「もう少し配慮した方がいいのでは」と個人的な感情で口を挟んでしまえば、それは職務の範囲を超えた行為になりかねません。
弁護士に求められているのは、共感ではなく、公正さだからです。
だからこそ、弁護士はあえて感情を挟まず、事務的な言葉を選びます。それは、依頼者を守るための、いわば職業的な誠実さの表れなんですよね。
でも、この誠実さは、言葉にしなければ、誰にも伝わりません。
そして、弁護士の立場上、「これは実はあなたを傷つけないための距離なんです」と説明することすら、なかなかできないんです。
何しろ、1ミリの誤解も与えてはいけないという、厳しい制約が存在しますから。
もしも微かにでもそんなことがあったら、後で大変なことになりますからね。
「手続き的公正」という視点
実をいうと。この、数字は合っているのに納得できない、という現象には、心理学ですでに説明がついています。
「手続き的公正(Procedural Justice)」という考え方です。
心理学者ジョン・ティボーとローレンス・ウォーカーが提唱し、その後トム・タイラーらによって発展させられた理論で、人は結果そのものの公平さよりも、その結果に至る過程が公正だったかどうか?
――自分の意見を聞いてもらえたか、決定に関与できたか――によって、納得できるかどうかが大きく左右される、という考え方です。
つまり、結果の公正(Distributive Justice)と、過程の公正(Procedural Justice)は、まったく別のものなんですよね。
ちょっと意外ですよね?
ですが、結果がどれだけ公平でも、過程で「自分の声が聞かれなかった」と感じれば、人は納得しません。
逆に、結果が多少不利でも、過程できちんと意見を聞いてもらえたと感じられれば、人は受け入れやすくなります。
この原則を、事業承継や相続の場面に当てはめると、こうなります。
継ぐ側は、弁護士や税理士とともに、時間をかけて話し合いを重ねます。
当然、決定のプロセスに深く関与しています。
一方、継がない側は、多くの場合、話し合いがある程度進んだ段階になって初めて呼ばれます。
決定の場に、最初から同席していたわけではありません。
結果として提示された数字は公平でも、そこに至るまでの過程に、自分の声が反映された実感がないわけです。
だから、いくら数字を丁寧に説明しても、納得の質が変わらない。
これは、説明の技術の問題ではなく、そもそも「聞かれなかった」という感覚そのものに向き合わない限り、埋まらない溝だからです。
実は私自身も、このような一見すると「え?」と思うような場面に何度も遭遇しています。
弁護士は、この溝を埋める役を、引き受けられない
そしてここに、弁護士にとって、かなり厄介な構造があります。
手続き的公正を満たすには、本来、継がない側の声も、決定のプロセスの早い段階から、丁寧に拾う必要があります。
でも、弁護士は、それができません。
依頼者の代理人である以上、継がない側の意見を積極的に引き出し、それを決定に反映させようとする行為は、依頼者の利益と対立する可能性があります。
弁護士が公平であろうとすればするほど、皮肉にも、継がない側の「声を聞いてもらえた」という実感は、生まれにくくなるんです。
この構造、なんとなくわかりますよね?
だけど、これこそが「人情はないの?」と、当事者が思ってしまう原因でもあるのです。
ですからこれは、弁護士の怠慢でも、配慮不足でもありません。
職業倫理として、越えてはいけない一線が、そこにあるだけなのです。
だからこそ、弁護士は、この納得できなさの正体に気づいていながら、それを解消する役割を、自分では引き受けられません。
「本当は、あなたの声も聞きたいんです」とは、立場上、言えないんですよね。
これが、弁護士が事業承継の現場で抱える、もう一つの断絶です。依頼者を守るために保つ距離が、そのまま、もう一方の当事者との間の断絶になってしまう。
しかも、その断絶を埋める役目を、誰よりもその構造を理解している弁護士自身が、担うことを許されていない。
ほんとうに厄介ですが、だけどこれがあるからこそ、弁護士は常に公平でいられるわけです。
だから、弁護士への相談は、ハードルが高く感じられる
この構造は、実は依頼者本人が弁護士に相談する前の段階にも、影を落としています。
「弁護士に相談する」というと、多くの人がまず身構えますよね。
事務的に、淡々と処理されるのではないか。
自分の気持ちなど、二の次にされるのではないか、って。
こうしたイメージがあるからこそ、本当は早めに相談した方がいい局面でも、多くの人が相談を先延ばしにします。
そして、感情的な対立がある程度こじれてから、ようやく弁護士のもとを訪れる、というパターンが少なくありません。
弁護士がビジネスライクなのは、依頼者を守るための誠実さです。
でも、そのビジネスライクさこそが、依頼者が弁護士に足を運ぶまでの心理的なハードルを、結果的に高くしてしまっている。
これもまた、あまり語られない、静かな皮肉です。
比較表(結果の公正/過程の公正)
| 観点 | 結果の公正(Distributive Justice) | 過程の公正(Procedural Justice) |
| 何を見るか | 分配された数字・取り分が公平か | 決定に至る過程で、声を聞いてもらえたか |
| 満たされる方法 | 正確な計算・法的な妥当性 | 早い段階からの関与・説明・対話 |
| 弁護士が担える範囲 | 十分に担える(専門領域そのもの) | 依頼者以外には、構造的に担いにくい |
| 満たされないと起きること | 不服申し立て・法的な争い | 数字に文句はないのに、納得できない感覚が残る |
おわりに
弁護士の事務的な態度は、冷たさではなく、依頼者を守るための誠実さです。
でも、その誠実さゆえに、もう一方の当事者との間には、どうしても埋まらない溝が残ります。
そしてその溝の存在に、誰よりも敏感に気づいているのが、実は弁護士自身だったりするんですよね。
数字は合っている。
手続きにも瑕疵はない。それでも消えない後味。
それは、弁護士の仕事の失敗ではなく、弁護士という職業が構造的に引き受けられない領域が、確かに存在することの証明なのだと思います。
だけど、クライアントは常に自分の都合を起点に考えますよね?
私も多くの人と話をしますが、ほとんど全ての人が、自分起点、つまり自己都合から話をスタートし始めます。
聞いていると「この話しから妥協点が見いだせるのか?」と、不安になるくらいです。
ですが、全ての人がそうなのですから、それを間違いなく処理するためには、弁護士視点からの今の構造、絶対に外せないものだと思います。
実は、ここからが面白いところです!
ここまでは、弁護士の視点から見た話でした。
でも、この「手続き的公正」という視点、実はもう一段深いところにも刺さります。
継がなかった側の家族が納得できないのは、結果ではなく、決定に至る過程に自分が関与できなかったからでした。
では、継いだ側の後継者は、どうでしょうか。
後継者は、会社という「結果」を丸ごと受け取ります。
株式も、取引先との関係も、社内のルールも、すべて手にします。
数字の上では、これ以上ないほど恵まれた立場です。
でも、その結果に至るまでの過程――先代が何十年もかけて下してきた無数の判断、なぜあの取引先とはこの条件を守り続けたのか、なぜあの社員には強く言えないのか、なぜこの投資だけは慎重だったのか――その過程に、後継者は一度も同席していません。
つまり後継者は、会社という結果は受け取ったのに、その結果を形作った意思決定のプロセスからは、ずっと締め出されていた側なんです。
構造としては、この記事に出てきた「継がなかった側の家族」とまったく同じだということがわかりますか?
数字(結果)には文句がなくても、過程に関与できていない以上、心のどこかに「聞かれていない」という感覚が残る。
ただ後継者の場合、それが一度の遺産分割ではなく、会社の判断基準すべてに及んでいる、という違いがあるだけです。
そして、この過程の不在を、法律や契約は埋められません。
弁護士がどれだけ公正に手続きを進めても、過去の判断過程そのものを、今から後継者に体験させることはできないからです。
だからこそ必要なのは、先代の頭の中にしかなかった判断の過程を、今からでも言語化し、後継者が「その場にいたかのように」理解できる形に構造化することです。
これが、経営深層論理(DDL)という考え方の出発点であり、後継者にとっての、いわば事後的な「手続き的公正」の回復でもあるんです。
弁護士にも、契約にも埋められない、この過程の不在そのものに興味が湧いた方は、ぜひ下の記事も読んでみてください。
きっと、あなたの疑問の解決の糸口が見えるはずです。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない
私は過去に、数万人の従業員を擁する会社のHRの現場、あるいは心理カウンセラーとしての心理臨床の現場で、多くの実体験を積んで、現在ここにいます。
このことは自慢ではなく、そこでしか見ることのできない、多くの「苦悩」と向き合ってきたということです。
これからも、この経験をもとに、可能な限り、読んでくださる方に寄り添える記事を書いていこうと思っていますので、ぜひ楽しみにしていてください。
それでは、また、お会いしましょう。


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