「わかりました」という言葉が、どうにも信じ切れない|顧問弁護士のジレンマ

「わかりました」という言葉が、どうにも信じ切れない|顧問弁護士のジレンマ


契約内容は、全部説明した。でも、本当に「わかってもらえた」とは、思えていない。|顧問弁護士のジレンマ

専門用語は、噛み砕いたつもりでした。それでも、埋まらない距離があります。


30-Second Summary

事業承継に関する契約説明の場で、弁護士は、可能な限り専門用語を噛み砕き、時間をかけて丁寧に説明をします。
それに対して依頼者も、うなずきながら聞いています。
しかし、その場を後にした弁護士の心中には、「本当に、わかってもらえただろうか?」という、割り切れない感覚が残ることが頻繁にあります。

この記事では、この違和感の正体を、哲学者ミランダ・フリッカーが提唱した「解釈的不正義」という視点から整理します。
これは、理解力の問題ではなく、自分の経験を理解するための言葉そのものを、構造的に持たされていない、という後継者側の状況について、お伝えします。

では、なぜここで、この話題を取り上げるのでしょうか?
それは、事業承継を進める上で、そこに状況的に弁護士が入る必要があるとき、それがどれほど重要なことであっても、依頼する側は「自分は金を出して依頼した側だから、全てを滞りなく“やってくれるだろう”という、非常に安易で不確かな合意が形成されてしまっているケースが少なからずあるからです。

そしてそれが、結果的に弁護士側よりも依頼した側に大きな負担を強いることになるということを、弁護士目線で知っておくということが、双方にとって非常に重要であるからです。


契約内容は、全部説明した。でも、本当に「わかってもらえた」とは、思えていない。

(株式評価も、遺留分の計算も、専門用語を、できるだけ噛み砕いて説明した。分かりやすいたとえも、いくつか用意しておいた。)

(質問はありませんか、と聞いたら、大丈夫です、という返事だった。うなずいてもいた。)

(なのに、なぜだろう。あの人は、本当に、これが自分の人生を左右する契約だと、わかっているんだろうか。)

契約説明を終えた弁護士の頭の中に、こうした独り言が、ふと浮かぶことがあります。

ここで言う依頼者とは後継者です。
もちろん彼は、会社を継いで経営者となるわけですから、経営のプロであるはずです。
経営学、MBA、他社での修行、これらの知見を持って経営に携わるわけですから。

しかし、残念ながら法律に関しては素人です。
とは言っても、「わからないから金を出して弁護士に依頼しているんだ」という、極めて低い意識では、結果的にそのことが経営に悪影響を及ぼすことがある。

実は、これまで私もこういった場面に数多く出会ってきたのです。


「わかりました」という言葉の、その先

事業承継の契約説明は、法律家にとって、専門知識をフルに使う場面です。

株式評価の方法、税制上の特例、遺留分への配慮。
これらを、専門用語のまま突きつけるのではなく、できるだけ日常の言葉に置き換えて説明する。これは、弁護士としての、当然の配慮だと言えます。

当然ながら依頼者も、真剣に耳を傾けています。
うなずき、時折メモを取り、質問があれば聞いてくる。
一見すると、表面上は、このコミュニケーションは、きちんと成立しているように見えます。

でも多くの場合、弁護士の頭の中には、しばしば、こういう感覚が残ります。

依頼者が発する「なるほど、わかりました」という言葉が、本当に、その内容を自分の人生の一部として、飲み込めた上での「わかりました」なのか?ということです。

ないとは思うが、もしかして、この場を早く終わらせるための、あるいは、これ以上質問すると恥ずかしいという気持ちからの、表面的な「わかりました」なのではないだろうか?と。

そこは判別が、つかないんです。
しかも、弁護士も「一つの案件」に長い時間を費やすわけにはいきません。

わからなかったら「もう一度お願いします」と、聞き直して欲しい。
これは、“お願い”以前の、“常識”としての範疇のことです。

少し厳しいことを書きましたが、この段階での両者間の「微かなズレ」がのちのち大変なリスクを孕むことがあるということを、是非知っておいてください。


これは、理解力の問題ではありません

実を言うと、こうした場面で多くの弁護士は、「もっと分かりやすく説明すべきだったか?」と、自分の説明の仕方を反省すると言います。
「時間があれば、ひとつひとつ確認をしながら進めたいくらい重要な説明なんだが」と。

でも、実は、これは説明の技術だけの問題ではないかもしれません。
ここから少しだけ、ややこしい話をしますが、ご容赦ください。

哲学者ミランダ・フリッカーが、2007年に提唱した「解釈的不正義(Hermeneutical Injustice)」という概念があります。

これは、ある人が、自分自身の経験を理解してから言葉にするための「概念的な道具」を、構造的に持たされていない状態のことを指します。

これは、知性の問題ではありません。
その状況を理解するための語彙や枠組みそのものへのアクセスが、最初から不平等になっている、という指摘なのです。

たとえるなら、これは、長編シリーズ映画の、最終章だけを、字幕付きで観ているようなものです。
(わかりますか?)

当然ですが、画面には、正確な字幕が流れています。
セリフの意味は、一言一句、間違いなく理解できます。
でも、ある登場人物が、涙を流しながら重大な決断を下す場面で、なぜか、自分の心は、まったく動きません。

なぜでしょうか?
それは、その涙の理由が、字幕には書かれていないからです。

それは、これまでのシリーズ、何十年分もの積み重ねの中で、その人物が何を失い、何を守り抜いてきたかという、画面の外にある物語に、すべて詰まっています。
今日、初めてこの映画館に来た人には、その重みは、決して伝わりません。

依頼者にとって、契約の場は、まさにこの最終章と同じなのです。

弁護士が用意する字幕(専門用語を噛み砕いた説明)は、完璧です。
一言一句、正確です。
それでも、画面の中の決断が、なぜそれほど重いものなのか、実感としては、どうしても伝わりきらないんです。

そして、ここに、もう一つ、大事なことがあります。

実は、字幕を作っている弁護士自身も、この映画の、これまでのシリーズを観ていません。
弁護士が正確に翻訳できるのは、あくまで、今、目の前で交わされている契約という、最終章のセリフだけなのです。

その決断がどこから来たのか、先代が、何十年もかけて積み上げてきた前の章の物語までは、弁護士自身も、実は知らないんです。

ここに決定的な隔たりがあることがわかるでしょうか?

事業承継の契約の場に、この考え方を当てはめてみましょう。

弁護士は、何十件、何百件という契約の場に立ち会っています。
「株式評価」「遺留分」「代償分割」といった言葉は、弁護士にとっては、日常の語彙です。
専門用語を噛み砕いて説明することはできても、その言葉が扱っている出来事の重さそのものを、依頼者と同じ密度で体験したことは、ないんです。

一方で、依頼者にとって、事業承継は、多くの場合、人生で一度きりの出来事です。
会社という、自分の人生そのものが懸かった話を、初めて聞く専門用語の羅列の中で、理解しようとしているわけです。

噛み砕かれた説明を、頭では追えていても、その状況全体を、自分の言葉で捉え直すための枠組みを、まだ持っていないんですね。

だから、依頼者が発する「わかりました」は、嘘でも、社交辞令でもありません。
ただ、その理解は、弁護士が思っているよりも、ずっと表面的なところに留まっている可能性が高いんです。

ここが一番怖いところかもしれません。


弁護士が、感情移入しすぎてはいけない理由

ここで、弁護士側の事情にも、目を向けたいと思います。

なぜ、弁護士は、こうした違和感に気づきながらも、そこに深く踏み込まず、淡々と手続きを進めるのでしょうか?

当然ながらこれは、冷淡だからではありません。
むしろ、逆なのです!

弁護士が関わる案件の依頼者は、ほとんどの場合、人生を懸けてその場に来ています。
事業承継だけでなく、離婚、相続、倒産処理。どの案件も、依頼者にとっては、人生の一大事ですから。

もし、弁護士が、その一件一件に、感情移入しすぎてしまったら、どうなるでしょうか?

おそらく、弁護士としての業務そのものが、成り立たなくなります。
毎回毎回、依頼者の人生の重さを、自分ごととして引き受けていたら、心が持ちません。

そして何より、感情に引きずられた判断は、法律家としての正確さを、かえって損ないます。

だからこそ、弁護士は、意図的に、一定の距離を保ちます。
これは、以前の記事でも触れた、依頼者を守るための誠実さの一つの形です。

でも、この距離があるからこそ、依頼者が今、どれだけの重さの中にいるのか、その全体像に、弁護士自身が、完全には踏み込めないという側面も、同時に生まれてしまいます。

つまり、これは誰か一人の落ち度ではありません。
弁護士が正確に業務を遂行するために必要な距離と、依頼者が、その言葉を自分の人生の重さとして飲み込むために必要な、理解の枠組みの不足、この2つが、同時に存在しているために起きる、構造的なすれ違いなのです。

私は、これまでの長い経験の中で、多くの弁護士と話をする機会がありました。
ここでの情報は、全て私が直接見聞きしたものをベースにしています。


「説明」と「理解」の間にあるもの

この両者間のズレを、整理するとこうなります。

観点弁護士が提供できるもの依頼者に、まだ整っていないもの
情報専門用語を噛み砕いた、正確な説明その情報を、自分の人生に位置づけ直すための枠組み
立場何十件もの経験に基づく、俯瞰した視点人生で一度きりの、当事者としての視点
必要な距離感正確な判断のための、適度な距離距離があるがゆえに、深く踏み込んでもらえない側面
「わかりました」の意味内容を理解したという、言葉通りの返答この場を終えるための、表面的な相槌の可能性

弁護士が丁寧に説明すればするほど、依頼者は「わかった気」になりやすくなります。

でも、その「わかった気」と、本当の意味での理解の間には、この解釈の枠組みの差という、見えない溝が、静かに残り続けているのです。

この溝=ズレは、残念ながら当事者間で埋めるのは非常に難しいものです。
「だったらどうしたらいいんだ?」ということになりますよね。


実は、ここからが本当に面白いところです

さて、ここまでの固い話だけだと、「専門家と素人の間には、どうしても情報格差があるから仕方ない」という、一般論としてのよくある結論に、着地しそうになりますが。

でも、私は、もう少し違う角度から、この問題を分析して見ています。

先ほど説明した、依頼者が持っていない「概念的な道具」とは、具体的に何なのでしょうか?わかりますか?
実はそれ、法律用語そのものではありません。

専門用語は、弁護士が噛み砕いて説明してくれています。
本当に足りていないのは、「この契約が、なぜこの形になっているのか」という、先代の判断の歴史そのものを、位置づける枠組みだとみています。

たとえば過去に実際にあった話ですが、ある事業承継の場面で、後継者の方が、遺留分に関する複雑な条項について、弁護士の説明をひと通り聞いた後、こう漏らされたことがあります。

「先生が言っていることは、よく分かるんです。数字も、理屈も。でも、なぜ、うちの場合、こんなに複雑な形にしなければならないのか?そこが、イマイチ実感として湧かないんですよね」

勘の鋭い方ならわかると思いますが、これは、まさに解釈的不正義が起きている瞬間ですよね。
彼が本当に理解できていなかったのは、遺留分の計算方法ではありません。

なぜ、先代が、これまで複数の親族との関係を、こういう形で調整してきたのかという、契約の背景にある、何十年分もの判断の歴史なのです。

弁護士は、今回の契約という「点」については、正確に説明できます。
ところが!です、その点に至るまでの、先代の判断の積み重ねという「線」までは、弁護士自身も、把握していません。
というか、できるわけがないのです。

つまり、後継者に欠けていた「概念的な道具」とは、法律知識ではなく、先代の判断の文脈そのものだったわけです。
これがなければ、どれだけ丁寧に契約を説明されても、その内容を、自分の人生の一部として、本当の意味で飲み込むことはできませんよね。

そして、この文脈こそが、経営深層論理(DDL)として、私(霧香ゆうひ)が構造化しているものなのです。

契約書という「結果」の理解には、弁護士の専門知識が絶対に必要です。
むしろ、そこは弁護士にしか扱えない、扱ってはならない領域です。

でも、契約書がなぜその形になったのかという「経緯」の理解には、まったく別の道具が必要になります。

弁護士の感じる「わかってもらえただろうか?」という違和感は、間違っていません。
ただ、それを埋めるための道具は、弁護士自身の手の中には、実はなかっただけなのです。

今日は少々ややこしい話でした。

でももし、読んで下さっているあなたが弁護士ならば、この話には大きく頷いて下さると思います。
そしてもしあなたが依頼者側である、後継者ならば、少し言い方が強く感じるかもしれませんが、「こちらは金を出して依頼しているんだから、手続きは弁護士がちゃんとやるべきことだ」という認識は、少しだけ修正したほうがいいかもしれません。

事業承継には恐ろしいほどの「煩雑な手続き」が付きまといます。
もちろんそれらは専門家でないと扱えないものがほとんどです。

でも、その手続きの背景には「会社を継いで存続させる」という極めて重い責任が伴っていることをよくよく知って、ぜひ「わからないのでもう一度詳しく説明してください」というクセを付けられることをおススメします。

すべては、あなたと会社、そして社員のためなのです。


「「思考資産」承継デザイン研究所 
霧香ゆうひ(夕燈) 
デコーダー/心理カウンセラー/作家」


もしも、この「契約の背景にある、判断の文脈」そのものに関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。

【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない


著者プロフィール
kirika-yuhi

著者:詳細プロフィール

「思考資産」承継デザイン研究所 
所長: 霧香 ゆうひ(夕燈) デコーダー/心理カウンセラー/作家

1961年生まれ。広島を拠点に全国の事業承継現場で、経営者と後継者の「魂の同期」を支援する専門家。
30年のHRキャリアで組織の力学を、14年の心理カウンセラー経験で人間の深層心理を、11冊の著書を通じて言葉の精錬技術を磨いてきました。

この三つが交わる場所に、私の専門領域があります。

私が提唱する「思考資産」とは、経営者の脳内に点在する「記憶・判断・哲学」をデコード(解読)し、次世代が迷わず使える「経営深層論理(DDL)」として構造化したものです。

法的・税務的な手続き(箱の整理)は専門家に委ね、私はその「中身(魂)」を救い出すことに全力を注ぎます。

一人の経営者の暗黙知を救うことは、組織を救い、文明が積み上げてきた知恵の総量を守ることに繋がる——これが、私がこの仕事を続ける理由です。

3万人超の事業承継・組織再生の現場に伴走してきた、日本唯一のデコーダー。

霧香ゆうひ

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