毎年、忘年会で繰り返される“親父の武勇伝”。来年も聞けるとは限りません。
誰も気づいていない、事業承継で最も重要なこと。
それは、「何度も語られてきたはずなのに、一度も文字になっていない話がある」ということ。
父の武勇伝、あと何回、聞けると思いますか?
もちろん数えたことなど、ないと思います。
それはきっと、当たり前のように、これからも毎年聞ける(聞かされる)と思っているからですよね。
30-Second Summary
創業時からの地を這うような苦労話、無数の修羅場をくぐり抜けた武勇伝。
忘年会や新年会のたびに、先代が繰り返し語ってきた(聞かされてきた)、あの話です。
当然のように、社員たちも、家族も、もう何度も聞いています。
ですが、それが一度も文字になっていないとしたら、どうでしょうか?
この記事では、人が年齢を重ねるほど「伝えたい」そして「伝え遺さなければならない」という気持ちを強く抱くようになる理由を、私の専門である心理学の「生成継承性」という視点から、わかりやすく整理してお伝えします。
そのうえで、何度も語られる話と、実際に構造として残る話は、まったく別物だという核心についてお伝えします。
きっと今のあなたの苦悩の先に一点の光を灯す内容です。
是非、読んでみてください。
毎年、忘年会で繰り返されるあの武勇伝。来年も聞けますか?
「忘年会や新年会」少しお酒が入って賑やかになった頃になると、決まって出てくる話がありませんか。
創業したばかりの頃に、資金繰りに詰まって、銀行を何軒も何軒も走り回ったこと。
あの取引先との契約を、土壇場で勝ち取った武勇伝。
一番苦しかった時期に、たった一人の社員が残ってくれた時のこと。
これらはもう、何度も聞いた話です。
みんな、オチまで分かっている話です。
それでも、先代が話し始めると、その場は不思議と静かになる。
それが何度目でも、聞き飽きたはずなのに少し胸が熱くなる瞬間があります。
でも、少し考えてみてください。
その話、誰かが文字にしたこと、ありますか?
どこかに文章として残っているでしょうか?
もしかすると、先代と共に、消えていく、先代の頭の中にしかない「記憶」なのではないでしょうか?
このことに思いを致すことって、あまりにも少ない気がしませんか?
何度も語られてきたのに、一度も記録されていない話
人は不思議なもので、語り手は大事な話ほど、繰り返し語ります。
そして、おかしなもので、聞き手側は、繰り返し語られる話ほど、「いつでも聞ける話」と思い込んでいたりします。
先ほどの、先代の武勇伝も、まさにそうです。
毎年のように聞いているから、なんとなく「この話は、うちにちゃんとある」という気になっているはずです。
でも、実際には、それはどこにも記録されていません。
先代の記憶の中と、その場に居合わせた人たちの記憶の中に、断片的に残っているだけです。
社員は代替わりします。
家族も、いつまでも同じ顔ぶれではありません。
そして何より、その話をしている本人が、いつまでもその場にいるとは限りません。
「また今年も、あの話が聞けるだろう」 そう思っているうちに、気づけば、その話を語れる人が、この世に一人もいなくなっている。
そんなことが、実際に起こります。
あの武勇伝も、実はその中に大切な真理が隠れていたりします。
きっと先代はそれを引き継いでほしい、受け継いで欲しい、そう思ているのではないでしょうか?
だけど、なかなか言いづらい自慢話しのようで話しにくいのかもしれません。
だから、少しお酒が入って、気分がよくなった時などに「毎度のように語り始める」のではないでしょうか。
でも、ここに事業承継を成功させるための超重要な真理が隠れていることに、ぜひ気づいてください。
気付いた人から、事業承継における「勝ち組」となれるはずです。
なぜ、人は年を重ねるほど「伝えたい」気持ちが強くなるのか?
先代が、何度も同じ話を語りたがるのには、理由があります。
これは、単なる昔語りの癖ではないことに注目して欲しいと思います。
心理学者のエリク・エリクソンは、人間の心理的な発達を、生涯を通じた8つの段階に分けて説明しました。
面白い話なので、覚えなくてもいいですが、話の流れを理解してみてください。
彼の説明の中の、中年期から老年期にかけての課題として位置づけられているのが、生成継承性(Generativity)という概念です。
簡単に説明すると、生成継承性とは、次の世代を育て、自分が得たものを次に手渡していきたいという人間の自然な欲求のことなのです。
エリクソンは、この欲求が満たされないままでいると、人は停滞(Stagnation)という状態に陥ると指摘しました。
停滞とは、自分の人生に閉じこもり、そこから何も外に向かって流れていかない、虚しさに近い感覚です。
つまり、先代が何度も武勇伝を語りたがるのは、単なる自己満足や昔話好きではなく、次の世代に、自分が得たものを渡したいという、発達段階として自然な欲求の表れなんです。
だとすれば、その欲求が、ただ「毎年同じ話を繰り返す」という形でしか出口を持てていないとしたら、それはとてももったいないことではないでしょうか。
それはすなわち、話す本人にとっても、聞く側にとっても、その欲求の本当の行き先が、まだ見つかっていない状態だからです。
酒の席での武勇伝にもそれなりの理由があると思ったら面白くないですか?
この欲求が満たされないと、何が起こるのか?
生成継承性が満たされないまま、停滞の状態が続くと、人は次第に、こんな感覚を抱くようになると言われています。
「自分がやってきたことに、意味はあったのだろうか」
「自分がいなくなったら、これまでのことは、誰の記憶にも残らないのではないか」
これは、経営が順調かどうかとは、別の話です。
むしろ、会社を無事に次の世代に引き継いだ後、ふと訪れる虚しさとして表れることが少なくありません。
会社という「箱」は渡した。
でも、自分がその中で何を考え、何と格闘してきたかは、誰にも渡っていない。
何一つです。
この感覚が、忘年会での武勇伝を、繰り返し語らせているのかもしれません。
では、先代自身が書けばいいのでは、という問い
「そんなに伝えたい気持ちがあるなら、自分で書けばいいのでは?」
そう思うかもしれませんし、とても自然な問いですね。
ですが、実はここに、大きな壁があります。
忘年会で語られる武勇伝は、あくまで「エピソード」でした。
何が起きたか、という出来事の話ですね。
でも、そこには、もっと大事なものが隠れています。
なぜその判断をしたのか、なぜそこで諦めずにいられたのか、という判断の理由です。
この部分は、先代自身にとっても、無自覚であることがほとんどです。
それはそうですよね、何十年もかけて体に染み付いた判断は、本人にとってはあまりに当たり前すぎて、言語化する必要すら感じていないはずですから。
だから、いくら武勇伝を繰り返し語っても、その奥にある判断の構造までは、決して言葉になって出てこないんです。
これは、私が心理カウンセラーとして、14年間、日々向き合ってきたことでもあります。
カウンセリングの現場では、相談者ご本人が、自分の本当の気持ちや、行動の理由に、まったく気づいていないということが、日常的に起こります。
「なぜそう感じるのか」「なぜその選択をしたのか」を、本人に直接尋ねても、答えは出てきません。
絶対にです!
それは、隠しているのではなくて、単純に、自分自身でも言語化したことがないからです。
その大切な中身を引き出すために必要なのは、質問を重ねる技術ではなく、本人もまだ気づいていない部分に、対話を通じて一緒にたどり着くという、まったく別の技術です。
要するに、ほとんどの人間は、自分の脳内にしかない経験からくる記憶を構造化などはしません。
なぜなら、人間の脳はとんでもなく優秀なので、40年間の経験から蓄えた、脳内に点在する判断基準を、一瞬で演算することができます。
先代の武勇伝の奥にある判断の理由も、これと同じ構造をしています。
だからこそ、聞き方を少し変えるだけでは、引き出せないんですよね。
これは、カウンセラーがよく使う傾聴という技術だけでは絶対に引き出せるものではありません。
これを、記録の種類として整理すると、次のようになります。
| 形式 | 残るもの | 残らないもの |
| 忘年会での武勇伝(口伝え) | その場の記憶・雰囲気 | 記録としての形。記憶する人がいなくなれば消える |
| 自分史・一般的な回顧録 | 出来事の記録・エピソード | 判断の理由・優先順位という構造 |
| 霧香式回顧録 | 判断基準そのものの構造化(思考資産) | – |
口伝えの武勇伝は、記録としてすら残りません。
さらに、自分史や一般的な回顧録は、記録としては残っても、判断の理由という核心までは扱いきれません。
この2つの壁を越えられるのは、対話を通じて、本人も気づいていない判断の構造を、外側から丁寧に引き出す作業だけなのです。
それが出来る人に私はこれまで出会ったことはありませんが、私が自身を“日本で唯一のデコーダー”と名乗る所以がここにあることを、ぜひ知って欲しいと思います。
これは自慢話ではないですよ。
霧香式回顧録という選択
その上で私がやっているのは、単に「昔話を聞く」という傾聴ではありません。
「あの時、なぜその判断をしたのですか」
「その苦しい状況を、なぜ諦めずに乗り越えられたのですか」
「もし、あの判断が外れていたら、次はどうするつもりでしたか」
こうした問いを重ねながら(詳しくは別に書きますが)、忘年会では絶対に出てこない、判断の理由そのものを、少しずつ形(構造化)にしていきます。
これを元に組み上げるのが、霧香式回顧録です。
これは、先代の生成継承性という、自然な欲求に対する、一番確かな出口でもあります。
毎年同じ話を繰り返すことでしか満たせなかった「伝えたい」という気持ちに、ちゃんとした行き先を用意する作業だからです。
そして、これは後継者にとっても、大きな意味を持ちます。
忘年会でしか聞けなかったはずの話が、いつでも参照できる、判断の地図に変わるからです。
先代がいなくなった後も、「あの人なら、こういう時どう考えただろうか」を、記憶の中の断片にではなく、ちゃんと構造化された「思考資産」として、参照できるようになるわけです。
来年の忘年会で、同じ話が聞けるとは限りません。
でも、その話の奥にある、本当に大事な部分は、今からでも、ちゃんとした形にして残すことができます。
- 別の記事で書いていますが、先代の脳内をデコードする独自の技術として、私が使うのは、「閻魔の事情聴取」という私が構築した特別な技術です。
実は、ここからが、もっと面白いところです
さて、ここまでの話だと、「武勇伝には、まだ言葉になっていない判断の理由が隠れている」という、少し抽象的な話に聞こえたかもしれません。
でも実は、この先にもっと面白いことが起きます。
その武勇伝自体が、すでに答えを含んでいるんです。
ただ、誰もそれを、答えとして聞いていなかっただけなんですよね。
たとえば、こんな場面があります。
「銀行を何十軒も回った」という、あの定番の武勇伝。
忘年会では、たいてい「いやあ、あの時は本当に辛かった」という感想と共に、笑い話として消費されて終わりますよね。
もちろん、聞いている側も、「大変だったんだなぁ」という感想以上のものは、特に受け取っていません。
ですが、これを対話の中で、少し違う角度から聞いてみると、様子が変わります。
「その何十軒かの銀行のうち、最終的にお金を貸してくれたのは、どんな銀行でしたか」
「断られた銀行と、貸してくれた銀行、何が違いましたか」
「その経験のあと、銀行と付き合ううえで、変えたことはありますか」
こうして掘り下げていくと、多くの場合、こんな答えが返ってきます。
「ああ、そういえば、あの時からなんだな、わしが数字の話をする前に、まず何のためにこの事業をやっているかを、必ず先に話すようになったのは」
これ、聞いた瞬間は「ちょっとしたコツ」くらいに聞こえるかもしれません。
でも、よく考えてみてください。
これは、単なるエピソードではなく、「信頼を得るためには、条件よりも先に、動機を語る」という、その人だけの明確な判断原則であることに気づきますか?
しかも、この原則は、銀行との関係だけでなく、おそらく取引先との交渉でも、社員への説明でも、無意識のうちに繰り返し使われてきたはずなのです。
面白いのは、先代自身、この原則を「原則」として意識したことは、一度もない、ということです。
ただの、忘年会の笑い話。
でしょうか?
でも、その中に、40年間ずっと使い続けてきた、判断のOSのようなものが、確かに埋め込まれていたわけです。
実を言うと、後継者が一番知りたかったこと、喉から手が出るほど欲していた、先代の判断基準の真理が、こうやって浮かび上がります。
これが、霧香式回顧録が実際にやっていることの、正体なのです。
真新しい質問をゼロから作り出しているのではありません。
すでに何度も語られてきた、あの使い古された話の中から、まだ誰も掘り出していなかった原則を、一緒に発掘しているだけなんです。
だから、後継者の方にお伝えしたいのは、こういうことです。
あなたがもう何度も聞いた、あの忘年会の話。
あれは、退屈な昔話なんかじゃないんです。
あなたがまだ気づいていない、経営の原則そのものが、笑い話という形に偽装されて、目の前に転がっているんです。
そして、それを笑い話のままにしておくか、原則として掘り出して、これからの自分の判断に使えるようにするか。その差は、決して小さくありません。
これが、あなたの苦悩を自由に変える唯一の手段でもあることをぜひ覚えておいてください。
もしも、この「語られてきたけれど、まだ形になっていないもの」に関心を持たれた方は、ぜひ以下のページもご覧ください。
きっと、さらに深く共感されて、ならばその先どうしようかという、具体的行動策まで思いつくはずです。
【回顧録という選択とは】 自分史でも、自伝でもない。回顧録という選択
【霧香式回顧録の詳細を見る】 「思考資産」承継デザイン研究所
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ


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