「あそこだけは、値上げはせん」…親父のその一言は、情でも勘でもなかった

「あそこだけは、値上げはせん」…親父のその一言は、情でも勘でもなかった

事業承継で二代目が見落とす、先代の判断を動かす「信用論理」の正体

「信用論理」・・・ちょっと難しい言葉に聞こえますが、中身を知ったら、「なるほどね」と同時に、「そうか!そういうことだったのか!」と、思わず膝を打つようなことでもあるので、ぜひ知ってください。

ほんとうに、面白いですから。

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「この表、見てください。粗利がいちばん低いのは、ここなんですよ」

拓也さんは、取引先別の利益率を一覧にした資料を、会長の前に置きました。
当然ながら、原材料も、運賃も、この三年で大きくはね上がっています。
全社的に、価格の見直しは避けられません。

ここは、拓也さんが、最も手を付けたかったところです。

なかでも、創業当時からお付き合いのある、ある食品メーカーさん。
取引量はかなり多いのに、利益はほとんど出ていない。
つまり、数字だけ見ると、真っ先に交渉すべき相手になります。

会長は、資料をしばらく眺めてから、静かにこう言いました。

「わかった。だがな、他は、お前の判断で好きにしたらええ。じゃがの、あそこだけは、値上げはせん、するわけにはいかんのじゃ」

その理由を何度となく尋ねても、「あそこは、ええんじゃ」としか返ってきません。

拓也さんは、心の中で諦めのため息をつきます。
また、親父の得意な「情」かぁ。
昔からの付き合いだから?
まぁ、それだけの話だろうけど。

そりゃあわからないくはないけど、今はそんな時代じゃないんだよな。

客観的に見ても、拓也さんの呟きの方が正論に聞こえますよね?


30 Seconds Summary

先代が、数字の上では説明のつかない判断をすることがあります。
後継者の多くは、それを「情」や「勘」、あるいは「昔気質」と受け取って、どこかで諦めてしまいます。

でも、デコーダーとして多くの先代の判断を解きほぐしてきた私の見立てでは、そうした判断の多くには、本人も言葉にできていない、はっきりとした論理があります。
私はそれを「経営深層論理(DDL)」と呼び、生存論理・信用論理・存在論理の三層で整理しています。

この記事では、そのうちの一層「信用論理」だけに絞って、「あそこだけは値上げせん」という一言の裏側を、一つの親子のシーンからデコードしていきます。

情だけではない、その理由を知ることも、経営者として必要なことです。
それは、今だからこそ知るべきことなのかもしれません。


この記事は、あなたのために書きました

拓也さん(仮名)、44歳。
包装資材の製造会社を、お父さんから継いで5年目。

継いだ直後のあの大混乱は、もう抜け切った感じで落ち着きを見せ始める頃です。
数字も読めるしそれを元にした判断もできる、銀行の融資担当とも普通に話せる。
社員からも、それなりに社長として扱われ、認められている。

拓也さんも、社長としての自信を持ち始めています。
それなのに、ときどき、父親(会長)の判断だけが、どうしても理解できない時がある。

理解できないまま、従うか、押し切るかの二択を迫られて。
結局どちらを選んでも、すっきりしないことがしばしば。

この記事は、そんな拓也さんのために書いたものです。
継いで何年経っていても、同じ壁の前に立っている方のための記事でもあります。

もしもあなたが、拓也さんと微かにでも重なるなら、解決のヒント、或いは答えが、この記事の中にあります。

ぜひ最後まで読んでみてください。


「情」と片づけた瞬間に、見えなくなるもの

拓也さんの気持ちは、とってもよくわかります。
どうですか?あなたもそうですよね?

利益率という、誰が見ても明らかな数字がある。
それに対して、返ってくるのは「あそこは、ええんじゃ」の一言だけ。
これじゃあ、納得しろというほうが無理な話ですよ。

だから、同じようなケースに出くわした多くの後継者は、こう結論づけます。

「親父は、昔の付き合いを大事にしているだけだ」
「時代が変わったことを、わかっていないんだ」

でもね、ここで一つ、立ち止まって考えてほしいことがあります。

お父さんは、40年もの間、この会社を潰さずに来た人なのです。
あのバブルの崩壊も、金融危機も、リーマンショックも、コロナも、生き延びてきた人なのです。

そんな人が、単なる「情」で、毎年利益を取りこぼすような判断を、何十年も続けてきたと思いますか???

「情」というラベルを貼った瞬間、その判断の中身は、もう誰にも見えなくなります。
そして、見えないものは、当然、継ぐこともできないんです。

これ、意味がわかりますか?
シンプルだけど、あなたの心理を刺しているかもしれません。

ただし、あまり悪い意味ではないのでご安心ください。


先代の判断は、三つの層でできている

ここで、私が「経営深層論理(DDL)」と呼んでいるものを、少しだけご紹介します。
そんなに難しい話ではないので、サラッと読み進めてくださいね。

先代の判断は、表に出てくる言葉の奥で、大きく三つの層に支えられています。

層問い判断に表れるとき
生存論理どうすれば、この会社は生き残れるか資金繰り、投資の見送り、撤退の判断
信用論理誰との信頼を、何を犠牲にしても守るか値決め、取引先の選び方、約束の守り方
存在論理この会社は、何のためにあるのか「それだけはやらん」という一線

決算書に表れるのは、主に一つ目の生存論理の”結果”です。
二つ目と三つ目は、数字のどこにも書かれていません。

そして、先代の「説明のつかない判断」の多くは、この二層目、三層目から出てきます。
本人にとっては、あまりにも当たり前すぎて、言葉にする必要さえ感じていないものです。

だから「なんとなく」とか「ええんじゃ」としか、出てこないんです。

「あそこだけは値上げせん」は、まさに二層目、信用論理の声でした。

では、実際に、どういう作用が動いているのかを見ていきましょうか。


実は、ここからが一番面白いところなんです

実は、こちらの拓也さんからの直接のご依頼で、私は会長(お父様)のお話を、何度かに分けて伺ったのです。

当然ですが、最初は、例の取引先の話題を、わざと避けました。
いきなり「なぜ値上げしないんですか?」と聞いても、返ってくるのは「ええんじゃ」だけだからっていうことは分かっていますから。

実を言うと、先代の本音というのは、正面からの質問では絶対に出てきません。

ここは、私が使う「閻魔の事情聴取」という技術になりますが。
代わりに、会社がいちばん苦しかった時期の話から、ゆっくり聞きました。

これは、人を欺くものでも、誘導するものでもなく、自然に脳内の回路を繋げるテクニックです。
それまで、点在していた脳内の微かな記憶を、自分で構造化してもらうためのスイッチみたいなもので。

その中で、会長が一番に挙げたのは、平成の金融危機の頃の話でした。
メインの取引銀行が貸し渋りを始め、手形の割引も渋られ、月末の支払いに、本当に足りるかどうかという月が続いたそうです。

「あの頃は、毎月、夜に一人で事務所の電卓を叩いとった」

そこまで話して、会長は、ふと立ち止まったように止まりました。

「そう言えば……あの年の暮れに、あそこの先代の社長が、ふらっとうちに来てのう。次の三か月分、先に払うとくって言うたんよ。注文書もまだ出とらんのに。それでの、理由を聞いても、『お宅が潰れたら、うちが困るけえの』としか言わんかったんよの」

会長は、少し思い出し笑いをしました。

「もしもな、あれがなかったら、うちは、あの年を越せとらん。銀行は傘を取り上げたが、あの社長は傘を差し出してくれた。……じゃけえよ、あそこに値上げを言うのは、わしの順番じゃないんよ」

隣でそれを一緒に聞いていた拓也さんは、黙っていました。
あの取引先の利益率の低さは、会長の「情」ではありませんでした。
二十数年前、会社が倒れかけたときに差し出された傘への、会長なりの返し方だったのです。

ただ、デコードはここで終わりではありません。

私は、もう一つだけ質問しました。
「もし、今あの会社のほうが苦しくなって、逆に値下げを頼まれたら、どうされますか?」と。

会長は、即答しました。
「下げる。黙って下げる」

「では、あちらが苦しくもないのに、値下げだけを求めてきたら?」

今度は、少し間がありました。
「……それは、断る。あそこの今の社長が、先代の恩を知らんのなら、それはもう、別の付き合いじゃろうの」

この最後の答えこそが、信用論理の”本体”です。

このやり取りは、もちろん抜粋したものですが、この中身を読み取れましたか?

会長は、「古い取引先を大事にする」という、ぼんやりした情だけで動いていたのではありませんでした。

「危機のときに傘を差し出した相手には、平時に利益を求めない。ただし、その信頼が一方通行になったら、そこで線を引く」

そういう、はっきりとした判断基準を無意識のうちに持っていたのです。
これが、頭の中で、瞬時の演算によって、その時々の回答を導いていたわけですから、周りに(もちろん拓也さんにも)それを推し量るのは不可能なことだったはずです。


「情」と「信用論理」は、何が違うのか

ここで、拓也さんが最初に貼ったラベルと、デコードの後に見えたものを並べてみます。

観点「情」として見ていたとき「信用論理」として見えたとき
判断の理由昔からの付き合いだから危機のときの恩に、平時で報いるため
線引きない(どこまでも甘くなる)信頼が一方通行になったら、線を引く
後継者にできること従うか、押し切るか同じ基準で、自分の判断として選べる
他の取引先への応用できない「この相手は、危機のときにどう動いたか」で見られる

いちばん大きな違いは、三行目と四行目です。

「情」は、お父さん個人のものなので、継ぎようがありません。
でも「信用論理」は、判断基準なので、言葉にさえなれば、拓也さんが自分の判断として使うことができます。

実際、この話の後、拓也さんは、残りの取引先を見直すときに、利益率の表の横に、もう一列を書き加えたそうです。
「この会社は、うちが苦しいとき、どう動いたか」

その一列を入れただけで、値上げ交渉の順番が、ずいぶん変わったと言います。
そして、それは、お父さんに従った結果ではなく、拓也さん自身が選んだ順番でした。


では、見えない親父の脳内を、どうやって手渡すのか

ここまで読んで、こんなふうに思われた方がいるかもしれません。

「理屈はわかったよ。だけど、うちの親父の頭の中を、どうやって取り出せばいいんだ?」

まぁ確かに。
そこが、本当に難しいところなんですよね。

お父さんに「なぜですか?」と聞いても、本当の理由は絶対に返ってこないことは明らかにしました。
それは、本人にとっては、それらのことが全て、当たり前すぎて、言葉になっていないからです。

今回も、「そう言えば」の一言が出てくるまでに、何度も何度も遠回りをしました。

実は、この「遠回り」にこそ理由があります。
信用論理は、「誰を信じるか」ではなく、「あのとき、誰が自分を信じてくれたか」という記憶の中に眠っていることが多いからなんです。

だから、値決めの話をいくら掘っても答えは出てきません。
会社がいちばん苦しかった夜の話を聞いたときに、ようやく、ひょっこり顔を出したりします。

これが真理なのです。

息子が同じことを聞こうとしても、なかなかうまくいきません。
というよりも、ほぼ100%の確立で、無理です。

それはなぜでしょうか?
父親というのは、息子の前でだけは、いちばん苦しかった夜の話を、したがらないものだからです。

さらに、ですが、仮に取り出せたとしても、それで終わりではありません。
取り出したものを、後継者が、迷ったときに何度でも開ける形にして、手渡す必要があります。

これらの超・複雑なやり取りを、一気通貫で一人の人間がやらないと、うまくいかない。
これが現実です。

その「手渡し方」については、また別の記事で、ゆっくりお話ししますね。


拓也さんへ

お父さんの説明のつかない判断に、苛立つ日もあると思います。
その苛立ちは、あなたが会社を真剣に考えている証拠です。

ただ、「情」や「勘」と片づける前に、一度だけ、こう考えてみてください。
この人は、四十年、何を守るために、この判断を続けてきたんだろうか、と。

その答えが見えたとき、お父さんの判断は、あなたを縛るものではなく、あなた自身が使える道具に変わります。


「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ
デコーダー/心理カウンセラー/作家


もしも、この「先代の説明のつかない判断」というテーマにご関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。

【HUB記事】

親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

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親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由日本では毎年、多くの中小企業が黒字でありながら廃業を余儀なくされています。その背景には、会社という「箱」は継げても、先代の脳内にある本当の強み――「思考資産」が継承されていないという、事業承継の“中…

※「思考資産」とは?……もしよければ私の著書「思考資産」を読んでみてください。


それではまた、お会いしましょう。

霧香ゆうひ

著者プロフィール
kirika-yuhi

著者:詳細プロフィール

「思考資産」承継デザイン研究所 
所長: 霧香 ゆうひ(夕燈) デコーダー/心理カウンセラー/作家

1961年生まれ。広島を拠点に全国の事業承継現場で、経営者と後継者の「魂の同期」を支援する専門家。
30年のHRキャリアで組織の力学を、14年の心理カウンセラー経験で人間の深層心理を、11冊の著書を通じて言葉の精錬技術を磨いてきました。

この三つが交わる場所に、私の専門領域があります。

私が提唱する「思考資産」とは、経営者の脳内に点在する「記憶・判断・哲学」をデコード(解読)し、次世代が迷わず使える「経営深層論理(DDL)」として構造化したものです。

法的・税務的な手続き(箱の整理)は専門家に委ね、私はその「中身(魂)」を救い出すことに全力を注ぎます。

一人の経営者の暗黙知を救うことは、組織を救い、文明が積み上げてきた知恵の総量を守ることに繋がる——これが、私がこの仕事を続ける理由です。

3万人超の事業承継・組織再生の現場に伴走してきた、日本唯一のデコーダー。

霧香ゆうひ

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経営深層論理(DDL)

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