「縁起でもないこと言うな」——親父に”回顧録”を切り出せない理由
事業承継後に、後継者が回顧録を勧めると、なぜ先代は身構えるのか?
一番最初に、なぜ事業承継をスムーズに成功させるための話に、「回顧録」が出てくるのか?不思議に思う人がいると思います。
確かに、現在、社会問題となりつつあり、事業承継がうまくいかないという問題とは、一見して、何の関係もないように見えます。
ところが、手続きとしての承継は完璧に終わったのに、なぜか経営が迷走するといった問題の核心を深掘りすると、どうしても触れないわけにいかない大きな問題に当たります。
それを解決するツールの一つとして、私が使っているのが、これから紹介する、「霧香式回顧録」なのです。
ぜひ、一読されてみてください、納得されるはずです。
では、始めましょう。
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「親父さ、今までの話、親父の人生を、本にしてみないか?」
日曜日の夕方、実家の居間。
二代目は、何日も前から、このひと言を切り出すタイミングを計っていました。
父親(先代)は、新聞から目を上げないまま、こう返しました。
「ん?縁起でもないこと言うなよ。ワシはまだ死なんぞ」
あっさりと、その会話は終わりました。
会話にすらなりませんでした。
テレビの音だけが、やけに大きく聞こえます。
“そういう意味じゃないんだけどなぁ……。”
二代目(息子)としての本意は、これまで親父が生きてきた激動の道を、ちゃんと形に残したかっただけなんです。
それなのに、なぜ、こんなに気まずい空気になってしまうのでしょうか?
そこには、二人の間に、父子だからこその、心理的なすれ違いが存在します。
今日は、事業承継で失敗しないために、私が提唱するツールがなぜ有効なのか?
そしてなぜ、それを使うことが難しいのかを丁寧に解説します。
人は、自分が知らないことに極端な拒否反応を示します。
ところが、ちゃんと有効性を示して、一旦理解すると、自ら進んで取り入れることになります。
この記事を読み終える頃、きっとこの“回顧録”の持つ意味を知って、前のめりになるはずです。
是非、楽しみながら読み進めてみてください。
30 Seconds Summary
まず、今日は、回顧録の「中身」をどう書くのか?ではなくて、その手前にある「切り出し方」のお話から進めます。
後継者が善意で勧める回顧録は、先代の耳には、しばしば「終活の勧め」や「引退の念押し」として届いてしまいます。
でも、心理学の視点で見ると、先代は本当は「遺したい」と強く願っている人なんです。
自分が歩んできた激動の道のりをどうやって乗り越えてきたか。
さらに、40年間「自分が一番大切にしてきたこと」を遺したい人です。
当然ながら、拒まれているのは、回顧録そのものではありません。
「息子から、終わりを告げられること」の方なのです。
この記事では、そのすれ違いの構造を、エリクソンの「世代継承性」という考え方で整理します。
そして、誰がどう切り出せば先代の受け取り方が変わるのか、先代にとっての最大のメリットは何なのかまで、お話しします。
つまり、同じ “回顧録” という本の話なのに。
いくらコミュニケーションしても、そもそもお互いの価値観が全く違うという、すれ違いの根本原因を明らかにすることで、その「回顧録の意義を共有できるようにを共有できるようにすること」が目的なのです。
難しい理屈は出てきませんので、肩の力を抜いて、読み進めてみてください。
「遺してほしい」は、なぜ「早く引退しろ」に聞こえるのか?
まず、先代の側から、あの居間の場面を見直してみましょう。
代表を退いてから、そろそろ一年。
毎朝、会社に行く理由は、もうありません。
何十年も持ち歩いてきた名刺も、手元からなくなりました。
ちょっとだけ脱線しますね。
経営者にとって、「名刺」は単なる紙切れではないんです。
初対面の相手に差し出した瞬間、「自分が何者か」を一枚で説明してくれる。
何十年も、その一枚に守られてきたわけです。
その名刺がなくなるということは、「自分を説明し証明する言葉」を失うことでもあります。
もちろん表には出さなくても、先代の心の中には、ぽっかりと穴が空いているはずです。
どうですか?
そんな時期に、息子から「今までの話を本にしよう」と言われたら?
息子の頭の中では、それは「親父の人生にはとんでもなく大きな価値がある、遺したい」という意味でした。
でも、先代の頭の中では、こう翻訳されてしまいます。
「親父よぉ、昭和の時代はもう終わったんだ。だから、記念にまとめて置いたらどうだい?」
「回顧録を書く」
言葉は同じでも、受け取る側の状況によって、意味はまるで変わってしまうんですよね。
しかも、これを言ったのが「息子」だという点が、話をさらにややこしくします。
社員や取引先から言われたのなら、社交辞令として流せたかもしれませんね。
だけど、息子の言葉には、「親の老い」「代替わり」「自分の居場所」という、親子だからこその含みが、どうしても乗ってしまうのです。
それは、間違いなく“被害妄想”なのですが…。
これ、言った側からすると、とんでもなく理不尽ですよね?
善意で言ったのに、なぜか相手を傷つけてしまう。
でも、これは、どちらかが悪いわけではありません。
心理的な構造の問題なのです。
実は、先代は「遺したい」人であるはずなのです
ここで一つ、私の専門分野から、心理学の考え方をご紹介します。
もちろん名前なんて覚えなくて大丈夫です。
発達心理学者のエリク・エリクソンという人が、人生の後半に向かう大人の中で、「世代継承性(Generativity)」という欲求が強まっていくと考えました。
簡単に言うと、「次の世代を育てたい」「自分が築いたものを、誰かに手渡したい」という欲求のことです。
エリクソンは、この欲求が満たされないと、人は「停滞」の感覚に陥るとも指摘しています。
どうですか?
思い当たることは、ありませんか?
毎年の忘年会で、同じ武勇伝を繰り返す先代。
若手社員をつかまえては、「昔はな……」と話し始める先代。
周りからは「また始まった」と思われがちですが、あれは、単なる自慢話ではありません。
自分が生きてきた中で掴んだものを、誰かに手渡したい。
その世代継承性の、不器用な表れなんですよね。
そう考えると、見えてくることがあります。
先代は、「遺すこと」そのものを拒んでいるわけではない。
むしろ、誰よりも遺したいと思っていることがわかります。
だから、考えてみると。
拒んでいるのは、「息子から、終わりを告げられること」の方なのですね。
もう一つ、見落とされがちなことがあります。
先代にとって、息子は、ずっと「教える相手」でした。
だからこそ、息子の前では、迷ったことや、怖かったことは、なかなか口にできません。
親としての、そして先代経営者としてのプライドがあるからです。
つまり、息子が聞き手になると、どうしても「立派な話」しか出てこない。
本当に手渡したいはずの、迷いや恐れを含んだ判断の中身ほど、語られずに残ってしまうんですよね。
ここ、とても大事なところです。
入り口さえ変われば、先代の反応は、驚くほど変わる可能性がある、ということですから。
面白くなってきましたね?
実は、ここからが面白いところです
私のクライアントのお話を一つ、挟ませてください。
その二代目も、冒頭の場面とほぼ同じように、一度、先代に断られていました。
「縁起でもない」とまでは言われなかったものの、「ワシの話なんか、誰が読むんだ」と、まったく取り合ってもらえなかったそうです。
そこで、私がデコーダーとして、先代と直接お話をするために、ご自宅に伺うことになりました。
最初にお会いした時、当然ながら私は「会長の人生を本に遺しましょう」とは、一言も言いませんでした。
私が先代にお願いしたのは、次のような感じです。
「この長い経営人生の中で、きっとこれまでに会社にとっての一大事が何度もあったと思うんです、そんな大事な場面で、会長はどのように判断してきたのか。その一端を、聞かせていただけませんか?」
先代は、腕を組んだまま、しばらく黙っていました。
最初の二十分ほどは、正直、口数も少なく、よそ行きの答えばかりでした。
それはそうですよね?
だって、赤の他人が、ズケズケと記憶の中に踏み込んで来ようとしているのですから、警戒して当然です。
だけど、実はこれも、私にとっては“織り込み済み”でした。
それでも私は、先代が口を開き始めるのを待ちます。
そんな中で、少し空気が変わりはじめたのは、ある設備投資の話を伺っていた時です。
「そう言えば、あの時にな……」
先代は、この言葉と同時に、急に身を乗り出しました。
銀行に頭を下げに行った日のこと。
反対した古参の職人を、どうやって説得したのか。
そして、その時、本当は何を一番恐れていたのか。
実はそれらの話は、元々、先代の脳内に点在していて、まったく構造化されていないものですから、きっと「一つのまとまり」として出てきたのは、この時が初めてだったのでしょう。
90分の予定は、あっという間に過ぎました。
帰り際、玄関で靴を履いている私の背中に向かって、先代はこう言ったのです。
「で、次はいつ来るんだ?」
後日、その時の話をまとめたものを読んだ息子さんは、しばらく黙ってから、こう言いました。
「ありがとうございます。親父が恐れていたなんて、初めて聞きましたよ」
息子さんが二代目として知っていた、先代経営者としての父親の姿というのは、どんな時でも、誤りのない即断即決を下せる、まったくブレない、揺るぎがない、偉大な経営者としての父親の姿だけでした。
その決断の裏に、どれほどの迷いと恐れがあったのか。
それを知った時、息子さんの中で、父親の見え方が静かに変わったそうです。
どうですか?
少し要点だけを駆け足で書きましたが、息子さんに切り出された時と、同じ人とは思えませんよね?
中身は、同じ回顧録の話です。
変わったのは、「誰が」「どんな言葉で」切り出したか?
たった、それだけなんです。
名刺をなくした人の、新しい名刺
もう一つ、先代にとって、回顧録には大きなメリットがあります。
実は、私は、これこそが最大のメリットだと思っています。
こんな場面を、想像してみてください。
引退して、何年か経ったある日。
先代は、久しぶりにOB会に顔を出しました。
隣の席には、初めて会う人が座っています。
「はじめまして。もう引退しまして、名刺は持っていないんですが……」
そう言いかけて、先代は、スマホを取り出します。
画面に表示したのは、自分の回顧録のKindleページにつながるQRコードです。
相手がその場で読み取って、表紙を開きます。
「えっ、本を出されてるんですか!すごいですね!!!」
肩書きを失った人が、もう一度、「何者か」として名乗れる瞬間を作れるわけです。
それは、飲み会でも、ゴルフでも、同じことが起きますよね。
美しく装丁された実本としての「回顧録」は、家に置いておく宝物。
そしてさらに、近しい大切な人に贈る、自分自身の記念碑です。
一方で、Kindle本は、いつでも持ち歩ける名刺になります。
内容は同じです、違うのは、実本か電子書籍かだけです。
どちらにも、それぞれの価値があるんですよね。
そして、同じ内容の回顧録なのに、役割が全く違うのも面白いところです。
これを知るとどうでしょうか?
回顧録は「終わりの準備」から、「これからの人付き合いのための道具」に変わりませんか?
先代にとっての意味が、正反対になるわけです。
しかも、ここが超・超・超大事なところですが(笑)
この、私が提供させていただく回顧録は、本屋などで見かける「偉人の回顧録」とは、まったくの別物だということです。
私が提供する「霧香式回顧録」について是非知って欲しいと思います。
同じ回顧録でも、ここまで違う
ここまでのお話を、表にまとめてみます。
| 観点 | 息子が切り出す回顧録 | 第三者が聞き出す回顧録 |
| 先代の受け取り方 | 終活・引退の念押し | 語る場・聞いてもらえる場 |
| 語られる内容 | 武勇伝の繰り返し | 判断の理由(思考資産) |
| 先代にとっての意味 | 過去の整理 | 今を生きるための名刺 |
こうして並べると、違いは「中身」ではなく「入り口」にあることが、よくわかると思います。
親子だからこそ、届かない言葉がある
冒頭の二代目が、もどかしく感じていたもの。
結局それは、先代の頑固さではありませんでした。
親子という距離、そのものだったわけです。
近すぎるからこそ、言葉に余計な意味が乗ってしまう。
これは、どれだけ言い方を工夫しても、息子一人では越えにくい大きな壁です。
だからこそ、間に第三者が入る意味があります。
第三者が「聞かせてください」と入ることで、回顧録は「死ぬ準備」ではなく、先代が現役として名乗り、語るための一冊になります。
そして、もう一つ。
あの「そう言えば」から語られた、判断の理由。
あれこそが、私が「思考資産」と呼んでいるものです。
先代の頭の中にしかなかった判断の基準が、言葉になって残る。
それは、そのまま、後継者が受け継ぐ資産になっていきますから。
回顧録は、先代のためのものであり、同時に、あなたのためのものでもあるんです。
もし、親父に回顧録を切り出して、気まずくなってしまったことがあるなら。
それは、あなたの言い方が悪かったからではありません。
そして、もし先代ご自身がこの記事を読んでくださっているなら。
語ることは、終わりではありません。
むしろ、次の始まりの時です。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ(夕燈)
デコーダー/心理カウンセラー/作家
もしも、この「回顧録の切り出し方」というテーマにご関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

※「思考資産」とは?……もしよければ、私の著書 「思考資産」を読んでみてください。
それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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