「この後継者への融資、ほんとうに通していいのか?」 ——支店長が最後に見ているのは、数字ではなかった
事業承継の融資審査で、銀行員が本当に安心する条件とは
目の前に置いた融資の稟議書を、すでに三回も読み返していました。
数字は、悪くありません。
ただし、良いわけではなくて、あくまで「悪くはない」といった程度です。
決定的に良いわけでもない。
決定的に悪いわけでもない。
融資担当者は、ペンを握ったまま、動かせずにいました。
もし、この稟議が通って、後で焦げ付いたら。
自分の評価に、はっきりと傷がつきます。
今期の人事考課、来期の異動先、下手をすれば、この先何年も、「あの案件の……」という枕詞が、自分についてまわることになる。
これは当然のことです、人間だから。
人には言えない葛藤を自分自身が一番よくわかっています。
それでも。
30-Second Summary
事業承継後の融資審査では、後継者の実績や決算書が「ギリギリのライン」であることが少なくありません。
そのとき、融資担当者と支店長の間には、数字だけでは説明しきれない、極めて人間的なやり取りが発生します。
単なる事務処理をはるかに超えて、人には言えないような人間的なやり取りが繰り広げられることもしばしばです。
ただし、基準は絶対であり、権限の逸脱は許されません。
とは言え、それを行っているのは全て人間であるということも真理なのです。
この記事では、心理学の「認知的即応決定モデル(RPD)」という視点から、融資担当者の”勘”の正体を解き明かしながら、決裁権限者の支店長が最終的に何を見て決裁印を押すのかを整理します。
ここを丁寧に読み解くことによって。
後継者の方にとっては、銀行員に何を見せれば信頼を得られるかの実践的なヒントに。
銀行員・税理士の方にとっては、ご自身が無意識に行っている審査判断の言語化として、ぜひ、参考になればと思います。
この融資を通していいのか、迷う理由
融資担当者は、この後継者と、もう半年以上付き合っています。
実は、面談のたびに、感じるものがありました。
根拠はないけれども「この人は、大丈夫だ」。
そんな(まさに)直感です。
ところが、その融資担当者の「直感」というのは、稟議書には書けません。
もちろん、そんなことを書く欄も稟議書にはありません。
要は決算書の数字は、悪くない。
ただ、それだけです。
思ったよりもシンプルなものです。
しいて言えば、担保も、ギリギリ足りているという程度。
だから、これをそのまま支店長に持っていっても、突き返されるのは目に見えていました。
「お前の”気がする”で、億単位の金は貸せんだろ」
以前、別の案件で、支店長からそう言われたその言葉が頭をよぎります。
その時の、あの冷たい沈黙。
決裁印を、目の前で保留にされた、あの感覚。
その記憶が、今も頭から離れませんでした。
もし今回も同じように突き返されたら。
そういった感情に押されるのはとうぜんです。
しかし、それだけならまだいいのかもしれません。
この稟議を無理矢理に通して、万が一にも焦げ付いたら。
考えるだけ震えるような感覚に陥ります。
――ここで、一つ、はっきりさせておきたいことがあります。
融資担当者にとっての「稟議」というのは、単なる一件の案件ではありません。
自分自身のキャリアそのものを、稟議書に乗せているんです。
銀行の主業務は、端的に言ってしまえば、「貸して設ける」ことです。
だから、融資担当者が融資を実行することは、銀行が儲けるために当たり前のことです。
融資することで融資担当の評価は正当に成されます。
ただし、その融資したお金が当たり前のように返済されたらという条件のもとです。
当たり前すぎる話のようですが、ここに紙一重の危険があるのです。
だから、融資担当も決裁権限者である支店長も恐ろしく慎重になります。
それは…
万が一その融資が焦げ付いたりしたら。
自らの将来(キャリア)に大きな影響を及ぼす可能性があるからです。
これは人間だから当たり前の葛藤だと言えます。
実は、ここからが面白いところです
私の知る、ある担当者には、一つの忘れられない場面がありました。
半年前、この後継者が、先代の時代には全く取引のなかった、新しい業界の会社と、商談をまとめた時のことです。
同席させてもらった、その商談の場で、担当者は、あることに気づいたのです。
後継者は、相手の業界も、規模も、抱えている事情も、先代とは何もかも違う状況で、迷わず判断を下していました。
かといって、まったくの我流というわけでもない。
どこか、先代の判断の”骨格”のようなものを、確かに引き継ぎながら、それを、目の前のまったく新しい相手に合わせて、自分の頭で組み立て直しているようだと感じたそうです。
果たして、先代ならば、こう判断しただろうか?
いや、先代は、この状況に出会うことすらないかもしれない。
それでも、後継者は、一切の迷いを見せなかった。
担当者は、その場面を見ながら、背筋に、小さな震えのようなものを感じたそうです。
(大げさではなくて、ほんとうにそう感じたそうです)
「あっ、この人は、前例のない場面でも、自分で正しく、しかも即座に判断できる人なんだ。」
これは、決算書のどこにも、書かれていない情報でした。
ここだけは、覚えておいてください。
この一瞬の気づきこそが、今回の稟議の、本当の”担保”になるんだということを。
では、これをどう説明したら支店長に正確に伝わり、そして稟議書に承認印を捺させることになる動機として機能するのでしょうか?
融資担当者の”勘”の正体
なぜ、担当者は、この場面だけで、そこまで確信を持てたのでしょうか?
実はこれ、心理学ですでに説明がついています。
もちろん覚える必要はありませんが、知っておくとお得ですよ!という情報でもあります。
それは、心理学者ゲイリー・クラインが提唱した、認知的即応決定モデル(Recognition-Primed Decision)という理論です。
この理論が明らかにしたのは、こういうことです。
熟練者の”勘”は、根拠のない当てずっぽうではなく、過去の無数のパターンと、目の前の状況を、瞬時に照合することで生まれる、高度な意思決定である、ということです。
融資担当者は、これまで、数えきれないほどの後継者を見てきたはずです。
うまくいった人、いかなかった人。
その膨大なパターンが、無意識のうちに蓄積されています。
だからこそ、あの商談の場面を目にした瞬間、「この人は、大丈夫だ」という確信が、瞬時に立ち上がったわけです。
そしてここで、面白いことに気づきます。
これは、以前、別の記事でお伝えした、後継者自身の”判断力”の正体と、まったく同じ構造なんです。
先代が瞬時に的確な判断を下せたのも、担当者が瞬時に「この人は大丈夫」と確信できたのも、同じ認知のメカニズムが働いています。
経営者の”勘”も、銀行員の”勘”も、実は同じ土俵の上にあるんですね。
支店長は、何を見たら安心するのか
さて、ここで、もう一つの問いに向き合う必要があります。
担当者は確信していても、決裁印を押すのは、支店長です。
支店長は、数字しか見ない、冷たい人間なのでしょうか???
そんなことはないと、私は思います。
なぜなら、支店長にも、支店長自身の、切実な事情があります。
この支店の実績は、彼の管轄です。
もし焦げ付けば、それは担当者一人の失敗では終わりません。
支店全体の不良債権比率に響き、本部からの評価にも響きます。
彼にもまた、この先のキャリアがかかっているわけです。
支店長が本当に恐れているのは、実は「焦げ付くこと」そのものではありません。
「なぜ通したのか、後から誰にも説明できない状態で失敗すること」なのです。
これまで、何度か”情”で通した案件が、痛い目を見たこともあったかもしれません。
その度に、自分の判断が、上に問われてきたはずです。
「なぜお前は、あの時、通したんだ?」と。
だから支店長が本当に欲しいのは、絶対に焦げ付かないという保証ではなく、「失敗しても、あの時はこれで通す判断は合理的だった」と、胸を張って言える根拠なんです。
数字は、この根拠として、一見わかりやすい。
でも、実は最強の根拠ではありません。
数字は、後から「それでも焦げ付いたじゃないか」と、簡単に覆されてしまうからです。
たった一人の甘い見込みによる判断が、銀行全体の損失の一部になる。
これは、当事者にとっては、最大の恐怖なのかもしれません。
稟議室での、ある一言
担当者は、稟議書を持って、支店長室のドアをノックしました。
「数字だけで見ると、正直、ギリギリです。」
そう切り出した瞬間、支店長の表情が、わずかに曇るのがわかりました。
ペンが、机に置かれる、小さな音。
「……それで?」
「ただ、一つだけ、お伝えしたいことがあります。」
担当者は、あの商談の場面を、そのまま伝えます。
先代の判断原則を、まったく新しい状況に、自分の頭で当てはめ直していたこと。
前例が、どこにもない場面だったこと。
支店長は、腕を組んだまま、しばらく何も言いません。
部屋には、エアコンの音だけが響いていました。
担当者は、構わず続けました。
もしかすると声が、少し震えていたかもしれません。
「これは、一度きりの結果じゃないと思うんです。この人は、この先何が起きても、同じように自分の頭で正しく判断できる。そういう”再現性”がある、ということだと思います。」
沈黙…。。。
5秒か、10秒か。
体感では、もっともっと長く感じられました。
そして、支店長は、ふと、視線を窓の外に向けて、呟くようにこう言ったのです。
「……そう言えば、うちが今も取引を続けている、あの会社の先代も、そうだったな。」
支店長の脳裏に、かつて自分が信頼して通した、別の後継者の顔が浮かんでいました。
あの時も、数字だけを見れば、決して十分ではなかった。
それでも通したのは、同じように「この人は、自分の頭で正しく判断できる」と感じたからだったのです。
支店長は、稟議書に、もう一度目を落としました。
「わかった。」
しばらく間を明けて続けました。
「それだったら、通していいな」
担当者は、思わず、詰めかけていた息を吐きました。
支店長が最後に押した決裁印は、数字への納得ではありませんでした。
「この後継者になら、この先何があっても、任せられる」という、確信への決裁でした。
本来の稟議書にこういったことを書く欄はありません。
ですが、参考資料は添付されることが多々あります。
もちろん「情」で融資が実行されることはありませんが、確かな確信を提示できれば、決裁される可能性は飛躍的に上がります。
数字で評価される後継者と、判断の型で信頼される後継者
| 観点 | 数字だけで評価される場合 | 判断の型で信頼される場合 |
| 審査担当者が見るもの | 決算書・担保の額面 | 前例のない場面での判断の仕方 |
| 支店長の決裁根拠 | 数字への納得 | 「この先も正しく判断できる」という確信 |
| 失敗した時の説明 | 「数字上は問題なかった」としか言えない | 「あの判断の型があれば、次も乗り越えられる」と言える |
| 次回融資時の心証 | ゼロから再審査 | 信頼の蓄積として引き継がれる |
こうして整理すると、支店長が本当に見ているものが、数字ではないことが、よくわかると思います。
後継者の皆さまへ
もし今、銀行との関係に不安を感じているなら、決算書を磨くことだけに力を注ぐ前に、考えてみてほしいことがあります。
あなたは、前例のない場面で、自分の頭で判断を下せていますか。
そして、それを、担当者や支店長に、見える形で伝えられていますか。
数字は、一度きりの結果でしか、あなたを語ってくれません。
でも、判断の型は、この先ずっと、あなたの信頼を支え続けます。
税理士・銀行員の皆さまへ
顧問先や融資先の後継者を評価する際、決算書の数字だけで、迷いが晴れないことがあるかもしれません。
そんな時は、ぜひ「この人は、前例のない場面でどう判断するか」という視点で、後継者を見てみてください。
そこに、数字では測れない、本当の与信の根拠が眠っているはずです。
どれだけ長い年月、安定的な経営状況であっても、直近の数字が良くても、事業承継によって経営者が変わったら、融資に関して言えば、判断基準の一つが消えてなくなったのと同じほどのインパクトがあると思います。
ここでもし「この後継者は、確かに先代の意志決定OSを引き継いでいる」と言う事がわかれば、それこそが「余震の根拠」だということが言えると思います。
会社を継ぐということは、決算書や組織図を引き継ぐことだけではありません。
その奥にある、先代の判断の”型”を、次の場面でも使える形で、引き継ぐことでもあります。
そしてその型は、銀行員や税理士といった、ステークホルダーの信頼をも、静かに動かしていくのです。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ
デコーダー/心理カウンセラー/作家
もしも、この「後継者の判断の型」にご関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

※「思考資産」とは?……もしよければ私の著書「思考資産」を読んでみてください。
それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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