「あいつ、ようやっとる」…その一言を、なぜ息子本人にだけ言えんのか?
事業承継から2年。
内心では二代目を認めているはずなのに、どうしても、褒める一言が出ない先代の「照れ」の正体とは?
何でもないような、親子の関係性ですが、実はこのことが思いもよらない、事業承継の成否に大きな影を落としかねないトリガーになり得るのです。
30 Seconds Summary
息子に社長を譲って、2年。
「本当は、あいつはようやっとる、と思っている。」
それなのに、本人を前にすると、口から出てくるのは「まあ、ええんじゃないか」だけ。
なぜかこれが精一杯の言葉です。
最初に、はっきりお伝えしておきます。
それは、決してあなたが息子さんを認めていないからではありません!
むしろ逆なのです。
心理学では、人は大切な相手ほど、心の中で「自分の一部」として抱え込む、と言われています。
だから、息子を褒めることは、自分で自分を褒めるような、どうにも落ち着かない照れくささになってしまうのはとても自然なことなのです。
この記事では、社員なら素直に褒められるのに、息子にだけは言えない、その心の仕組みを、デコーダーとして解き明かしていきます。
そして、もう一つ。
その「言えなかった一言」は、息子さんの側では、まったく違う意味に受け取られているかもしれません。
以前の記事「まあ、好きにしたらいい」では、その言葉を受け取った二代目の側の傷を書きました。
今回は、言った側の、言葉にならなかった本音のほうを書いていきます。
その話は、妻から聞いた
会長室のドアが、二度、軽くノックされました。
「会長、今よろしいですか。例の丸山さんとこの単価の件、まとまりましたので、報告を」
社長(つまり息子)が、書類を一枚持って入ってきます。
これは三年越しで揉めていた案件です。
先代の頃から、誰も手をつけたがらなかった話です。
会長は、手元の新聞から目を上げずに、こう言いました。
「まあ、ええんじゃないか」
社長は少しだけ間を置いて、「はい」とだけ答え、一礼して出ていきました。
ドアの閉まる音が、いつもより少しだけ静かに聞こえました。
ドアを閉めた社長は、深いため息を吐きました。
部屋の中の会長は、「ふぅ…」と、微かに息をして、新聞を読み続けています。
その夜のことです。
夕飯の片付けをしながら、妻が言いました。
「あの子ねぇ、今日のお昼に電話してきてね。えらい嬉しそうじゃったよ。丸山さんとこの話、まとまったんじゃ言うてね」
「うん……ほうか」
「あんた、たまには言うてあげんさいや。ようやったのう、って」
「ん?あぁ、“ええんじゃないか”、とは言うといた」
そう返して、会長はテレビのほうを向きました。
画面では野球をやっていましたが、どっちが勝っているのかは、まったく頭に入ってきませんでした。
息子は、嬉しい気持ちを、父親ではなく、母親に話している。
会長は、そのことに、ちゃんと気づいています。
気づいていて、黙っているのです。
まずは、会長の言い分から
さて、ちょっと作家らしく物語風に書いてみました。
ここまで読んで、「なんじゃあ、わしが悪いみたいな話か?」と思われた会長さんも、いらっしゃるかもしれませんね。
だけど、ご安心ください。
これは、まったくそういう話ではありません!
まずは、会長の側の言い分を、そのまま並べてみましょう。
「照れとりゃせん。」
「男が、いちいち口にすることか。」
「褒めたら、調子に乗るじゃろうが。」
「だいたい、わしも親父に褒められたことなんか、一度もない。」
「それに、社員なら、昔からなんぼでも褒めてきた。」
現場の若いのが段取りよく仕事を片付けたら、「おう、ようやった」と肩を叩いてきた。
だから、自分が褒め下手なわけではないと自認しています。
もちろんどれも、もっともなお話です。
私自身、今年で65(昭和36年生まれ)になりました。
会長さんたちと同じ時代を、同じように走ってきた者として、その感覚は、本当によくわかるんです。
良くも悪くも、私たちの世代は、そうやって育てられてきましたからね。
ただこの話を読んで、一つだけ、思い当たることはありませんか?
月に一度、昔なじみの同業の元社長と飲む席。
二杯目あたりで、ふと、こんな言葉が口から出てしまうことはないですか。
「あいつなぁ、ほんまにようやっとるんよ。ワシにはできんかったことを、周りを巻き込んで、しっかりやりよったんじゃ」
ここで、デコーダーとして、一つだけ問いを置かせてください。
言う必要がないと決めているなら、なぜ、飲む席では、あんなにすっと口から出てくるのでしょうか?
もちろんこれを、単に物語と切り捨てることはできます。
ですが、全く同じシチュエーションはあり得ないと思いますが、似たような心理状態に置かれた経験があって、頷かれた人も多いのではないでしょうか?
引退して2年、という時間
この問いの答えに入る前に、少しだけ、会長の「今」の話をしてみます。
40年(あるいはそれ以上)。
きっとわき目もふらずに全力で、駆け抜けてきたはずです。
資金繰りで眠れない夜もあった。
取引先に頭を下げ続けた年もあった。
社員の家族の顔まで思い浮かべながら、一つひとつ決断してきた。
社長を譲って、2年。
朝は、今でも6時にはきっちり目が覚めます。
40年かけて体に染みついた時計は、そう簡単には止まりません。
だけど、その日の予定は、何もありません。
新聞を、二度読む。
名刺は、もうない。
携帯電話も、ほとんど鳴らなくなりました。
同年代の訃報が、ぽつぽつと届くようになりました。
膝も、前のようには言うことを聞きません。
病院の待合室で、昔の取引先の社長とばったり会って、「お互い、歳をとりましたなぁ」と笑い合う。そんなことも増えてきました。
会社は、中から動かすものではなく、外から眺めるものになったのです。
それでも、一つだけ、前よりずっとよく見えるようになったものがあります。
それは、現社長(息子)の、仕事ぶりであるはずです。
自分が社長だった頃は、毎日が戦場で、息子の仕事ぶりなど、ゆっくり見ている余裕はありませんでした。
ですが、今は時間があります。
だからでしょうか?全部、見えていると思います。
誰に頭を下げたか。
どの社員に、どう声をかけたか。
どの判断で迷って、どう決めたか。
今、会長と会社をつないでいるのは、息子の仕事ぶりという、細い一本の糸だけなのかもしれません。
その一本が、前よりも、ずっと鮮明に見えるようになっているのです。
きっとそれが、今の会長の姿です。
実は、ここからが面白いところです
ここで、実際に私が、デコーダーとして、ある会長さんにお話を伺った時のことを、一つご紹介します。
(ご本人の了承を得ていますが、細部は変えています)
私の仕事、事業承継を円滑に着地させるための手法の一つに、「閻魔の事情聴取」と呼んでいる、私が独自に行う聞き取りがあります。
先代経営者の方に、これまでの判断の背景を、じっくりと伺う時間です。
その日のテーマは、創業期の資金繰りでした。
息子さんのことは、何一つ、お聞きしていません。
それなのに、会長さんは、気がつくと息子さんの話をしていました。
「この前もな、あいつ、取引先に一人で謝りに行きよったんよ。うちのミスでもないのに」
「古参の工場長がおるんじゃが、あれの扱いがな、わしより上手いわけだ」
「この前の会議でも、わしなら即決するところを、一晩寝かせよった。それがまた、正解でな」
20分。
資金繰りの話は、どこかへ行ってしまいました(笑)。
そこで私は、聞いてみました。
「それって、息子さんご本人に、言われたことはありますか?」
会長さんは、声を出して笑いました。
「あはははっ、言えるかいな、そんなこと」
少し、間がありました。
湯呑みに手を伸ばして、飲まずに、また置いて。
「……そう言えばなぁ」
「わしが社長の時、一番大事にしとったのが、取引先への頭の下げ方なんよ。こっちが悪うなくても、先に頭を下げる。そしたら、次にこっちが困った時、向こうが助けてくれる。うちはそれで、何べんも潰れずに済んだんじゃ」
「あいつ、誰にも教わっとらんのに、それをやりよっての」
その瞬間、会長さんの顔から、すっと笑いが消えました。
ご本人も、自分が何を口にしたのか、今やっと気づいた、という顔でした。
会長さんが、息子さんの中に見て「ようやっとる」と感じていたもの。
それは、息子さんの中で続いている、ご自分の40年だったのです。
どうでしょう?
息子は、心の中で「自分の一部」になっている
ここで、ちょっと私の専門でもある心理学の分野からアプローチしてみます。
名前は覚えなくて大丈夫です。サラッと読み進めてくださいね。
アーサー・アロンという心理学者が、「自己への他者の包含」という考え方を示しています。
人は、大切な相手ほど、心の中で「自分の一部」として抱え込んでいく、というものです。
ここで、二つの円を思い浮かべてみてください。
一つは、自分。そしてもう一つは、相手です。
社員さんの円は、自分の円の外にあります。
だから、社員を褒めることは、素直に「相手の成果を評価する」ことになります。
「おう、ようやった!」と、気持ちよく言えるわけです。
ところが、息子さんの円は、違います。
生まれた時から抱いてきて、同じ家で暮らし、同じ会社を背負ってきた相手です。
二つの円は、大きく重なっています。
そして、ここがもっとも大事なところです。
社長を譲って2年。肩書きも、名刺も、手放しました。
では今、会長の40年は、どこで生き続けているのでしょうか?
息子さんの仕事ぶりの中、なんですよね。
だから、二つの円の重なりは、社長を譲る前よりも、むしろ深くなっているというわけです。
息子を褒めることは、自分の40年を、自分で褒めることになる。
これは、照れくさいですよね?
自分で自分の背中を叩いて、「ようやった」と言うようなものですからね。
だとすると、さきほどの問いにも、ここで答えが出ますね。
昔なじみと飲む席なら、「あいつ、ようやっとる」は、「息子の話」として、自分の外に出せます。
ところが、息子本人を前にした途端、それは「自分の話」になってしまう。
だから、飲む席では言えて、会長室では言えないのです。
身内のことを「うちのは、まだまだですわ」とへりくだる、私たちの世代の習慣も、この照れを、さらに強くしています。
会長が「照れとりゃせん」とおっしゃるのも、きっと本当なのだと思います。
自分で自分を褒めることへの照れは、外からはなかなか見えません。
それは、当然ながらご本人にも、です。
同じ「ようやっとる」が、相手によって出たり出なかったりする
| 観点 | 社員を褒めるとき | 昔なじみに息子を語るとき | 息子本人を前にしたとき |
| 心の中での位置 | 自分の外側にいる相手 | 自分の外側に向けて話す息子の話 | 自分の一部として重なっている相手 |
| 褒め言葉の意味 | 相手の成果への評価 | 息子の自慢として外に出せる | 自分の40年を自分で褒めることになる |
| 口から出る言葉 | 「ようやった!」 | 「あいつ、ようやっとるんよ」 | 「まあ、ええんじゃないか」 |
どうでしょうか?
こうして並べてみると、褒め言葉が出てこないのは、褒める気持ちがないからではなく、相手が心の中のどこにいるか、の違いだということが、よくわかると思います。
どうですか?何かを感じ取ることが出来ましたか。
その一言は、息子さんの側で、どう聞こえているか
ここで、冒頭の、奥さんの言葉に戻ります。
「あの子、今日のお昼に電話してきてね。えらい嬉しそうじゃったよ」
息子さんは、会長室でも、きちんと報告をしています。
でも、嬉しさを分かち合った相手は、母親のほうでした。
それはたぶん、父親からは、“その言葉”が返ってこないとちうことを、もうわかっているからですよね。
会長にとって、「まあ、ええんじゃないか」は、精一杯の言葉のはずです。
照れを押し込めて、それでも何か言わなければと思って、絞り出した一言だと思います。
でも、息子さんの側では、まったく違う意味に届いてしまっています。
「やっぱり、まだまだ俺は認めてもらえていない。」
三年越しの案件をまとめても、親父にとっては、この程度なんだ。
同じ一言が、親子で、正反対の意味になっているのです。
このように、心的背景が載った、言葉の構造って、なかなかわかりませんし、伝わりません。
以前の記事「まあ、好きにしたらいい」では、この種の言葉を受け取った二代目の側の傷を、詳しく書きました。
今回は、言った側の、言葉にならなかった本音を書いてきました。
この二つを並べると、親子のあいだで何がすれ違っていたのかが、はっきり見えてきます。
これらのことが何を意味するか?
きっと、百戦錬磨のあなたなら、お気づきですよね?
言えなかった「ようやっとる」の中身こそが、思考資産です
会長が「ようやっとる」と感じる時。
その裏には、必ず、基準があります。
何を良しとして、何を良しとしないか。
40年の修羅場の中で、体に染み込ませてきた、判断の物差しです。
あの会長さんの場合は、「こっちが悪うなくても、先に頭を下げる」でした。
私は、これを「思考資産」と呼んでいます。
一般的には、この思考資産が言葉にならないまま、息子さんは進んでいくことになります。
自分のどの判断が、父親が40年大事にしてきたものと重なっていたのか?
それを、知らないままです。
だから、次に同じ場面が来た時、それを確信を持って選べるとは限りません。
たまたまその時には、うまくいっただけかもしれない。
そう思いながら、迷い続けることになるんです。
だからと言って、「今日から息子さんを褒めましょう」という、そんな単純な話ではありません。
当然ながら、照れは、そのままで構いません。
人間が68年かけて身についた照れを、今さら無理に外す必要なんて、ないんです。
その代わりに、できることがあります。
利害関係のない第三者が、会長の口から出た「ようやっとる」と、その理由を、言葉にして息子さんに手渡すことです。
会長ご本人からは照れくさくて言えないことも、第三者が言葉にすれば、「親父は、ちゃんと見ていた」という形で、息子さんに届くことになります。
そして、その理由ごと受け取った判断は、息子さんにとって、迷った時に立ち返れる物差しになるわけです。
私は、あなたと同じ時代を走ってきた者として、またデコーダーとして、その役目を担いたいと思っていますし、この任に最適な人間は、今の日本にはいないと段下出来るとすら思っています。
少し、傲慢ですかね?
会長さまへ
息子さんに「お前、最近よくやってるぞ」が言えないのは、決して認めていないからではないはずです。
それだけ、息子さんの中に、ご自分の40年を見ているからです。
その照れは、恥ずかしいことではなくて、それだけ深く重なっているという証なんですよね。
とは言え、きっとそんなことは言葉にしないだけで、お気づきですよね?
でも、だからこそ、時々こうやって自分を振り返るときがあれば、もしかすると、大きなきっかけにあるかもしれません。
そして私は、そうであることを心から願っています。
後継者の皆さまへ
「まあ、ええんじゃないか」という一言に、悔しい思いをしてきた方も、いらっしゃると思います。
でも、その一言の奥に、言葉にならなかった「ようやっとる」が、あったかもしれません。
それをくみ取ることは、きっと難しいことだとは思います。
ですが、そこに一歩踏み込むことで、父親の、そして先代経営者の40年に気づくきっかけがあるのかもしれないと、前向きに捉えてみてください。
間違いなく、あなたの知らない場所で、お父さんは、あなたのことを嬉しそうに、自慢げに話しているかもしれないのです。
いえ、間違いなく「息子自慢」をされているはずです。
今日の話が、事業承継を円滑に進めるための、何の役に立つのだろうか?と思われたなら、もう少し踏み込んだ話に触れて見られることをおススメします。
その上でもしも、この「認めているのに、伝わらない」というテーマにご関心を持たれた方は、ぜひ以下の記事もあわせてお読みください。
【対になる記事】
「まあ、好きにしたらいい」…その一言に、なぜこんなに傷つくのか
同じ一言を、息子さんの側から見た記事です。
二つを並べて読むと、親子のあいだで、何がすれ違っていたのかが見えてくるはずです。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

※「思考資産」とは?……もしよければ私の著書「思考資産」を読んでみてください。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ(夕燈)
デコーダー/心理カウンセラー/作家
それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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