親父の顔で、あと何年もつんだろうか?

「親父の顔で、あと何年もつんだろうか」

二代目が毎日抱えている、事業承継の「信用の空白」


「いやぁ、ええですよ。その条件で、来月からいきましょう」

正直、もう少し粘られると思っていました。
原材料の高騰で、どうしても避けられなかった値上げの交渉ですから。

説得?の資料は三晩かけて作り直しました。
もちろん想定される質問と答えも、頭に叩き込みました。
二代目社長の真壁亮さんは、それなりの覚悟をして、取引先の応接室に入ったわけです。

ところが、先方の社長は、資料を数枚めくっただけで、あっさりと笑顔で頷きました。

あまりにも拍子抜けしましたが、頭を下げて、席を立とうとした時です。
先方の社長が、ふっと笑って、こう言いました。

「あんたの親父さんにはなぁ、昔ずいぶん助けてもろうたけぇの。会長さんによろしゅう言うといてください」

駐車場に戻って運転席に座っても、亮さんは、しばらくエンジンをかけられませんでした。

今日の提案を何も言わず飲んでくれたのは、俺の資料じゃなかったんだな。
“親父の顔”だ。

もちろん、ありがたいと思いました。
これは本心であるのは間違いないことです。

だけど、やっぱり心のどこかに、三晩かけた渾身の資料が、ほとんど読まれなかったことへの悔しさも、少しはありました。

でも、それ以上に思ったのは、親父があの会社と社長の間に積み上げてきたものの重さに、頭が下がる思いでした。

ただ、同時に、頭の中では、別の計算が勝手に始まっていたのです。

親父、今年でいくつになったっけ?
うーん、76かぁ。

だったら……あと何年、この顔(父親)でもつんだろうか。

その問いには、二つの意味が混ざっていました。
そして、その片方は、誰にも言えない種類のものでした。

なんとなくお分かりですよね?


30 Seconds Summary

親の会社を継いだ二代目の多くは、取引先の前で、先代の「顔」に助けられた経験を持っています。
ありがたいのに、なぜか素直に喜び切れない。
それは、その顔の信用に、期限があると気づいているから。

この記事の中では、先代の信用は切れかけているのに、自分の信用はまだ見えていない状態を「信用の空白」と呼びます。
そして、なぜ先代の顔の信用は相続できないのか?を、社会学の「象徴資本」と、私が提唱する経営深層論理(DDL)の「信用論理」から整理してお伝えします。

結論を、先に一つだけ置いておきます。
顔そのものは、移せません。

でも、その顔を作った「判断の基準」は、言葉にすれば移せます。
もちろん、簡単ではありません、多くの後継者が一番苦悩するところですから。

この記事では、取引先の前で、今日も父親の顔を借りながら立っている、あなたのために書いています。

ぜひどうぞ。


誰にも言えない「あと何年」

「あと何年もつんだろうか?」

この言葉を、実際に口に出したことのある二代目は、ほとんどいないと思います。
でも、頭の中で一度も思ったことがない二代目も、たぶん、いないはずなんですよね。

これまで私はデコーダーとして、たくさんの二代目さんとお話ししてきました。
この話題に触れると、皆さん、決まって少し声が小さくなります。

そりゃあそうですよね、理由は超簡単です。
「親父の顔が、あと何年通用するか?」という問いは、そのまま「親父が、あと何年元気でいてくれるか?」という問いに、重なってしまうからです。

そりゃあ、縁起でもないってことになります。
だから、誰にも言えないのは当然です。
奥さんにも、古参の役員にも、もちろん親父本人にもね。

でも、ここで一つ、安心していただきたいことがあります。

この問いを抱えること自体は、親不孝でも、冷たいことでも何でもありませんから。

これはむしろ、会社を背負う人間としては、極めてまっとうな計算をしているんです。
だって、取引先の前に立つのは、一度きりの儀式ではなくて、毎日のことですからね!

この程度のことは、実は戦略の一部と(難しいでしょうけど)考えられるようになるといいのですが。


顔の信用は、なぜ移せないのか?

ここから少しだけ理屈っぽくなりますが、サラッと読み進めてくださいね。

フランスの社会学者ピエール・ブルデューは、「象徴資本」という考え方を示しました。

お金や設備のように目に見える資本とは別に、名前や評判、「あの人なら」という信頼も、一種の資本として働く。
こういうものですが、何となくですが、納得できてしまいますよね?

そして、その値打ちは、本人が持っているものではなくて、周りがそれを認めることで、初めて成り立つ。
ざっくり言えば、そういう考え方なんです。

つまりここが、ポイントなんです。

株は、譲渡の手続きを踏めば、二代目に移せます。
設備も、預金も、書類を整えれば、ちゃんと二代目の名義になります。

でも、象徴資本は、周りの人の心の中にあります。
先方の社長が「お父さんには助けてもろうた」と思っている、その記憶は、どれだけ立派な書類を作っても、亮さんの名義には書き換えられないのです。

しかも、この資本は、時間とともに少しずつ減っていきます。
先代が現場に出なくなれば、その顔を直接知る人は減っていく。
取引先の側でも、代替わりが進んでいく。

先代の顔の信用は、切れかけている。
でも、自分の信用は、まだ見えていない。

私は、この状態を「信用の空白」と呼んでいます。

この空白に、ある日ふと気づく瞬間のことは、以前、銀行の面談の場面で書きました。
もし、お時間ありましたらこちらの記事をご覧ください。

「社長ご自身のお考えを、伺えますか」…銀行の面談で、初めて”会長”の名前が出なかった日
https://shikou-shisan.com/successor-borrowed-trust-bank-meeting/

今日のお話は、その空白を抱えたまま過ごす「毎日」の話です。
それはそうですよね?
だって、空白に気づいていても、いなくても、取引先の前には、毎日立たなければなりませんから。


実は、ここからがほんとうに面白いところです

亮さんのお父様、会長のデコードに伺った日のことです。

会長のご自宅の応接間で、お茶をいただきながら、私は何気なく、例の取引先の話を振ってみました。

「あちらの値上げ、すぐに話がまとまったそうですね」

会長は、「ほうじゃったかの」とだけ言って、湯呑みに口をつけました。
それ以上、この話は何も続きません。
隣に座っていた亮さんは、少し気まずそうに、窓の外を見ていました。

またしばらく、別の話をしていた時です。
会長が湯呑みを置いて、ぽつりとこう言いました。

「そう言えばな、、、あそこの先代が、えらい目におうたことがあってのう」

それは、平成の初めのことだそうです。
その取引先は、大口の得意先が倒れたあおりを受けて、連鎖倒産の一歩手前まで追い込まれたことがあったそうです。

周りの会社は、一斉に取引条件を厳しくして、現金での支払いを求めたそうです。
まぁ、それは当たり前のことですよね。

だけど、その時に会長だけは、まったく逆のことをしました。
支払いの条件を一切変えずに、それどころか、その足で先方の会社まで出向いて、「うちは、今まで通りじゃけぇの。頑張りんさいよ」とだけ言って帰ってきたそうです。

「なぜ、そうされたんですか?」と私が聞くと、会長は少し考えてから、こう言いました。

「相手が一番弱っとる時に条件を変えたら、そりゃもう取引じゃのうて、見捨てたのと同じじゃろ?」

隣で聞いていた亮さんが、はっと顔を上げました。

先方の社長が言った「昔ずいぶん助けてもろうた」の、その「昔」の正体が、今初めてわかった瞬間でした。
しかも、今の先方の社長は、あの時、倒れかけた会社を必死で継いだ、二代目だったのです。

亮さんが、“親父の顔”、と思っていたもの。
それは、人柄でも、愛想でも、長い付き合いの年数でもありませんでした。

「相手が一番弱っている時に、条件を変えない」という、たった一つの判断の基準だったのです。

もちろん、この「判断基準」には、制限があります。
誰にでも使える、或いは使うべき戦略でもないし、基準でもありません。

なぜ、その時の会長は、あの会社に対して、「相手が一番弱っている時に、条件を変えない」という、たった一つの判断の基準を適用したのでしょうか?


顔の正体は、「予測できる判断」だった

この場面を、経営深層論理(DDL)の言葉で整理してみます。

DDLでは、経営者の判断の奥にある論理を、三つの層で捉えます。
・会社を潰さないための「生存論理」。
・相手との関係を守るための「信用論理」。
・そして、判を捺す時に、誰の顔を思い浮かべているかという「存在論理」
です。

今回の「顔」は、二つ目の信用論理そのものです。

信用とは、つまり「この人なら、こういう時にこう判断する」と、相手が予測できる状態のことなんですよね。

先方の社長は、会長の人柄を信じていたというより、「真壁さんのところは、こっちが苦しい時に見捨てない」と、判断を予測できていた。
だから、亮さんが持ってきた値上げの資料を、ほとんど読まずに通したのです。
「あの家の会社なら、こっちを踏み台にするような値上げはしない」と、わかっていたからです。

存在論理も、少しだけ顔を出しています。
あの時、会長が思い浮かべていたのは、目の前の売上ではなく、倒れかけていた先方の社長の顔でした。

こう考えると、「あと何年もつんだろうか?」という不安の正体も、見えてきませんか?

亮さんが本当に恐れていたのは、親父の顔がなくなることそのものではありませんでした。
取引先が予測している「判断の基準」が、親父の頭の中にしかない。
その状態こそが、怖かったのです。

観点顔の信用判断の基準の信用
紐づいている先先代という「人」言葉にされた「基準」
二代目に移せるか移せない(相手の記憶の中にある)移せる(言葉にすれば自分の言葉で語り直せる)
時間とともに少しずつ減っていく使うほど積み上がっていく

繰り返しますが、顔は、移せません。
でも、顔を作った判断の基準は、言葉にさえできれば、二代目が受け取って、自分の判断として使うことができます。

そして、亮さんがその基準で判断を一つ重ねるたびに、取引先の記憶の中に、今度は亮さん自身の顔が、少しずつ刻まれていくことになるのです。

このように継ぐべきものを継いだ後の連鎖、これは計算だけでは成り立ちません。
この判断基準の大元を継がねば、手に入らないものです。

その正体こそが「思考資産」なのです。


なぜ、親父に直接聞いても出てこないのか?

ここで、「だったら、親父に直接聞けばいいじゃないか」と思われた方もいるでしょう。

確かにそうなのですが…。
ただ、これが、なかなか難しいんです。

亮さんも、継いでから何度か、「なんで、あそこの会社だけは特別扱いなの?」と聞いたことがあったそうです。
返ってきた答えは、「昔からの付き合いじゃけぇ」の一言だけでした。

会長にとって、あの判断は当たり前すぎて、「基準」として意識されていないんですよね。
しかも、息子に向かって「わしはあの時、こう判断した」と語るのは、どこか自慢話のようで、照れくさいこともあるでしょう。

親子だからこそ、出てこない言葉だってありますから。
だから、利害関係のない第三者が、雑談の中から、先ほどのように「そう言えば」が出てくるのを待つ意味があるのです。

そしてこれは、簡単に引き出せるものではないということをお伝えしておきます。


後継者の皆さまへ

取引先の前で、親父の顔に助けられた日。
ありがたいのに、帰りの車の中で、ふと親父の年を数えてしまったなら。

それは、あなたが冷たいからでも、弱いからでもありませんから。
会社を背負う人間として、ちゃんと先を見ている証拠であるはずです。

そして、覚えておいてほしいことがあります。

それは、「父親の顔」は、相続できません。
でも、その顔の奥にある判断の基準は、まだ受け取ることができます。

「あと何年もつんだろうか?」と、一人で数え続けるより、その時間を使って、顔の正体を言葉にしておくことを考えるべきです。

その方が、ずっと前向きな時間の使い方だと思いませんか?

だって、目の前にその方法があるのですから。


周りで支える皆さまへ

取引が「先代の顔」で通っている二代目というのは、外から見ると、順調そのものに見えます。
でも本人は、その順調さに期限があることを、誰よりもよく知っています。

「会長によろしく」という言葉が、二代目の胸にどう響いているか?
税理士の方も、銀行員の方も、ほんの少しだけ想像していただけたら嬉しいです。

それが悪いことというわけではなくて、「一人立つ!」ことへの後押しになるのような声を掛けてあげることで、一つの会社が一層力強くなるはずですから。


親父の顔の奥にある「判断の基準」を、どう受け取るか。
その全体像は、こちらのHUB記事から辿ってみてください。

【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由日本では毎年、多くの中小企業が黒字でありながら廃業を余儀なくされています。その背景には、会社という「箱」は継げても、先代の脳内にある本当の強み――「思考資産」が継承されていないという、事業承継の“中…

※「思考資産」とは?……もしよければ、私の著書「思考資産」を読んでみてください。

それではまた、お会いしましょう。


「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ
デコーダー/心理カウンセラー/作家


著者プロフィール
kirika-yuhi

著者:詳細プロフィール

「思考資産」承継デザイン研究所 
所長: 霧香 ゆうひ(夕燈) デコーダー/心理カウンセラー/作家

1961年生まれ。広島を拠点に全国の事業承継現場で、経営者と後継者の「魂の同期」を支援する専門家。
30年のHRキャリアで組織の力学を、14年の心理カウンセラー経験で人間の深層心理を、11冊の著書を通じて言葉の精錬技術を磨いてきました。

この三つが交わる場所に、私の専門領域があります。

私が提唱する「思考資産」とは、経営者の脳内に点在する「記憶・判断・哲学」をデコード(解読)し、次世代が迷わず使える「経営深層論理(DDL)」として構造化したものです。

法的・税務的な手続き(箱の整理)は専門家に委ね、私はその「中身(魂)」を救い出すことに全力を注ぎます。

一人の経営者の暗黙知を救うことは、組織を救い、文明が積み上げてきた知恵の総量を守ることに繋がる——これが、私がこの仕事を続ける理由です。

3万人超の事業承継・組織再生の現場に伴走してきた、日本唯一のデコーダー。

霧香ゆうひ

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経営深層論理(DDL)親の会社を継ぐのが「辛い」あなたへ

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