「会長は、お元気ですか?」
…年始の挨拶回りで、取引先が最初に口にしたこと
事業承継後の二代目が直面する「先代ロス」の正体
「あけましておめでとうございます。本年も、どうぞよろしくお願いいたします」
1月5日、仕事始めの朝。
浩之さんは、紙袋に入れた年賀のタオルを手に、長年の取引先である工務店の事務所に頭を下げました。
地方の資材問屋を継いで、2年目の正月を迎えています。
去年は先代と二人で回った挨拶回りを、今年は初めて、一人で回っています。
やはり、慣れてきたころとは言え、緊張はします。
工務店の社長は、ストーブの前で立ち上がり、にこやかにこう言いました。
「おお、わざわざすまんね。で、会長は、お元気ですか?」
「はい、おかげさまで、元気にしております」
そう答えながら、浩之さんは笑顔を崩しませんでした。
か、しかし…。
2軒目の左官屋さんでも、同じことを聞かれました。
3軒目の設計事務所でも、やっぱり最初の一言は、それでした。
「ところで、会長さんは元気にしとる?」
別に何ということのない挨拶ですが。
帰りの軽トラの中で、浩之さんは、ハンドルを握ったまま、ぽつりと呟きました。
「……俺じゃあ、まだ話にならんってことなんか?」
30 Seconds Summary
今日は、事業承継の現場で、二代目が年始の挨拶回りで必ずと言っていいほど味わう、あの、何とも言えない居心地の悪さについて書きます。
承継の直後、取引先が先代の様子ばかりを気にする。
これは一般に「先代ロス」と呼ばれ、実際に、経営交代を機に取引先が離れていくケースも少なくありません。
多くの二代目は、これを「自分に人望がないから」「親父の人柄には敵わないから」と受け止めます。
でも、取引先が本当に付き合っていたのは、先代の”人柄”ではありませんでした。
「この人なら、こういう時、必ずこうする」という、判断の予測可能性だったのです。
この記事では、その構造を、私が提唱している経営深層論理(DDL)の「信用論理」という視点から解き明かします。
この記事は、年始の挨拶回りを前に、少し気が重くなっている、継いで1〜3年目のあなたのために書きました。
三回、同じことを聞かれた日
浩之さんの話を、もう少しだけ続けさせてください。
正直に言うと、浩之さん、この年始の挨拶回りの準備をかなり頑張っていました。
取引先ごとの去年の売上を頭に入れて、今年の提案も、ちゃんと用意していました。
予め想定できた「会長はお元気ですか?」と聞かれても、さらっと答えて、すぐに本題に入ればいい。
そう、自分に言い聞かせてもいましたが。
ところが、実際には、そうはいきませんでした。
工務店の社長は、浩之さんの提案を、にこやかに聞いてくれました。
でも最後に、こう付け加えたのです。
「まあ、そのへんはなぁ、一回、会長とも相談してみてから回答を頼むよ」
この一言、結構きついですよね?
否定されたわけではない。
むしろ、とても丁寧に扱われているわけです。
それなのに、自分の言葉が、相手の中で、どこにも着地していない感じがする。
浩之さんは、ここで、二つの結論のどちらかに飛びつきそうになりました。
一つは、「俺には、親父ほどの人望がない」という結論。
もう一つは、「相手は、俺を二代目だと舐めている」という結論。
どちらも、すごく自然な反応ですよね。
そして、どちらも、実は、ちょっとだけ的を外しているんです。
実は、こんなところに、事業承継の綻びがあるとしたら?
「そんな大げさな」と、思いますか?
事例が具体的なので、想像力が働かないかもしれませんが、注意深く観察してみてくださいね。
「先代ロス」は、人柄の問題だと思われている
事業承継の世界では、経営者が交代した後に、取引先や顧客が離れていく現象を「先代ロス」と呼ぶことがあります。
(ご存じですよね?)
特に、問屋や卸売業のように、長年の信頼関係でビジネスが成り立っている業種では、この影響が大きく出やすいと言われています。
そして、その原因として、よく語られるのが、以下のような説明です。
「先代の人柄で付き合っていたお客さんだから」
「先代の人脈だから、息子には引き継げない」
確かに、そう見えて当たり前です。
でも、ここで一つ、立ち止まって考えてみたいことがあります。
もし、本当に「人柄」だけで付き合っていたのなら、取引先は、なぜ、数字や納期や価格の話になると、急に「会長に相談してみて」と言うのでしょうか?
不思議じゃないですか?
人柄を懐かしんでいるだけなら、「会長によろしく」で済むはずなのです。
でも、わざわざ、判断を会長に戻そうとする理由が見あたりません。
ここに、先代ロスの本当の正体が隠れています。
実は、ここからが面白いところです
ここで、私が別の資材問屋の先代に、デコーダーとしてお話を伺った時のことを一つ挟みます。
(ご本人が特定されないよう、細部は変えています)
その会長は、80歳を目前にした方でした。
私が「取引先とのお付き合いで、一番大事にされてきたことは何ですか?」と聞くと、少し考えて、こう答えました。
「そりゃあ、義理と人情よ。それしかないじゃろ」
(豪快に笑いながらのお答えでした)
だけど、正直言うと、この答えは、ほぼ全員が言います。
ここで止まってしまうと、何も見えてきません。
そこで私は、質問を変えました。
「では、一番、取引先に迷惑をかけそうになった時のことを、覚えていらっしゃいますか?」と。
会長は、唸りながら、しばらく黙っていました。
そして、ふっと顔を上げて、こう言ったんです。
「そう言えばな……木材が、どこからも入ってこんようになった年があってなぁ」
全国的に資材が品薄になり、価格が跳ね上がった年のことでした。
大手のハウスメーカーからは、相場の倍近い値段でもいいから回してくれ、という話が来ていたそうです。
「でもな、ワシは、町の工務店には、いつもの値段で、いつもの量を回したわけよ。それでな、大手には、残った分だけ出した」
「なるほど。でもそれは、なぜなんですか?」
「あそこらは、もしもワシのところが止めたら、現場が止まるじゃろ。現場が止まったら、職人が食えん。職人が食えんようになったら、来年になってから、ワシのところから買う人がおらんようになるけぇの」
これが、「義理と人情」の、中身でした。
「義理と人情」と呼ぶにはあまりにも論理的な話だったので、私も大きく頷きましたよ。
会長の頭の中には、「品薄の時ほど、小さな取引先を先に守る。なぜなら、それが10年後の自分の会社を守るから」という、驚くほど一貫した判断基準があったのです。
そして、町の工務店の社長たちは、その判断を、何度も、何年も、目の前で見てきました。
だから、彼らは、もう体感として知っていたのです。
「いざという時、あの会長は、必ずうちを先に守ってくれる」と。
取引先が付き合っていたのは、「予測できること」だった
社会学者のニクラス・ルーマンは、信頼とは「複雑さを減らす仕組み」だと説明しました。
(これは覚えなくて大丈夫です、サラッと読み進めてくださいね。)
直訳すると、要するに、こういうことなんです。
相手が、次にどう動くかが予測できるから、こちらは、いちいち疑ったり、確認したりしなくて済む。
その”確認しなくていい状態”こそが、信頼の正体だ、ということ。
これを、私が提唱している経営深層論理(DDL)の言葉で言えば、「信用論理」になります。
信用論理とは、先代が、誰を、どの順番で、どこまで守るのかを決めている、目に見えない判断の軸のことです。
取引先は、先代の人柄を見ていたように見えて、実は、この信用論理の”再現性”を見ていたのです。
勘のいいあなたならわかりましたよね?
だからです、経営者が交代した瞬間、取引先は困ってしまったんです。
浩之さんが、どれだけ誠実でも、どれだけ提案を練っていても、
「この人は、品薄の時、うちを先に守るのか?それとも、高く買う大手に流すのか?」
その一点が、まだ、わからないからです。
「会長は、お元気ですか?」
この一言は、決して、浩之さんを軽んじた言葉ではなかったわけです。
本当(質問に隠された真意)は、こういう問いなんです。
「あなたの判断の軸は、会長と同じですか?」
| 観点 | 二代目が受け取っている意味 | 取引先が本当に確かめていること |
| 「会長はお元気ですか?」 | 自分では話にならないという評価 | 先代の判断の軸が、今も会社に残っているか |
| 「会長とも相談してみて」 | 自分の提案への不信 | この判断が、先代の基準と矛盾していないか |
| 取引の縮小・離脱 | 人望や人柄で負けた結果 | 次の判断が予測できなくなったことへの防衛 |
こうして並べてみると、二代目が戦っている相手は、先代の「人柄」ではないことが、よくわかると思います。
人柄で勝とうとしても、そもそも勝負の土俵が違うんです。
それはもう、比べるということ自体が空虚です。
では、二代目は、挨拶回りで何を話せばいいのか?
ここで、もし、浩之さんが、こう言えたらどうでしょう?
「親父から、昔、資材が入らんかった年の話を聞きました。品薄の時ほど、町の工務店さんを先に回せ、と。私も、そこは変えるつもりはありません」
たぶん、工務店の社長の表情は、少し変わるはずです。
「会長は、お元気ですか?」と、もう一度聞く必要が、なくなるからです。
ただ、ここに、大きな壁があります。
浩之さんは、その話を、親父から一度も聞いたことがないのです。
先代は、自分の判断基準を、「義理と人情」としか言葉にしていません。
そして息子が「なんで、あそこだけ値段を据え置くの?」と聞いても、「昔からそうしとる」としか返ってきませんから。
これまでの記事でも何度も書いてきた通り、先代自身が、自分の判断の”なぜ”を、言葉にできていないのです。
だからこそ、利害関係のない第三者が、先代の「そう言えば」を丁寧に拾い集め、判断の軸として言語化する必要があります。
それは、取引先への説明材料であると同時に、二代目自身が「自分も、この軸で判断していいんだ」と確信するための、土台にもなります。
※「思考資産」とは?……もしよければ、私の著書『思考資産』を読んでみてください。
後継者の皆さまへ
もし、今年の挨拶回りで、また「会長は、お元気ですか?」と聞かれたら。
それは、あなたが軽く見られているからではありません。
取引先は、あなたの中に、先代と同じ”判断の軸”があるかどうかを、確かめようとしているだけなのです。
その問いに答えられる言葉を、一緒に探しに行きませんか?
先代の皆さまへ
取引先から「最近、息子さんはどうですか?」と聞かれた時、つい「まだまだですわ」と笑って返していませんか?
謙遜のつもりのその一言が、取引先の「やっぱり、会長に聞かないと」という気持ちを、そっと後押ししてしまうことがあります。
あなたが長年守ってきた”判断の軸”は、あなたの中にしかありません。
それを、息子さんが語れる言葉にして手渡すこと。
それが、取引先に対する、最後の、そして一番大きな義理なのかもしれません。
「思考資産」承継デザイン研究所
霧香ゆうひ
デコーダー/心理カウンセラー/作家
もしも、この「取引先が本当に見ているもの」というテーマにご関心を持たれた方は、ぜひ以下のHUB記事もあわせてお読みください。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

それではまた、お会いしましょう。
霧香ゆうひ


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