二代目が「継ぐより起業だった」と後悔するとき
会社を継ぐ苦しさは、自由の欠如ではなく、選べなさの苦しさかもしれない。
30-Second Summary
父親の会社を継いで、1年から3年で多くの後継者がこんなふうに考えるということです。
「こんなことなら、会社を継ぐよりも自分で思い通りの起業をしたほうがよほど楽しかったに違いない」と。
継いだことを悔やむ気持ちの奥にあるものを、静かにほどいてみる。会社を継いだあとに、「自由に起業したほうが楽だった」と感じる二代目は少なくありません。
ですが、その後悔は単なる甘えではなく、承継という立場が持つ構造的な重さから生まれます。
この記事では、二代目が抱えやすい後悔の背景を整理し、気持ちが少し楽になる見方を提示します。
ある夜の独白
会社を継いで2年が過ぎたころ、ある後継者はこんなことをふと考えたそうです。
「もしも親父の会社を継がずに、自分でゼロから会社を立ち上げていたら、今ごろどうなっていただろう?絶対にその方が楽しかったよな」
今の会社の決算書の数字は悪くありません。
むしろ堅実です。
それでも、頭の中に浮かぶのは、まだ見ぬ「自分の会社」の姿。
好きな商品を、好きなように売る。
誰の顔色もうかがわず、思いついたアイデアをすぐに試す。
そんな景色を思い描くと、今の自分の仕事は、急に色あせて見えてきます。
きっかけは、些細なことでした。
学生時代の友人が、小さなカフェを開いたという話を耳にしたのです。
決して順風満帆ではないと聞いていました。
それでも、その友人が「毎日が自分のものだ」と楽しそうに話しているのを想像するだけで、なぜか胸がざわつきました。
自分の生活は、決して悪くないはずなのに。
「これだったら、自分のアイデアで起業していたほうが、よほど楽しかったに違いない」
そうつぶやいてみて、少し驚きます。
会社は継げた。
数字も悪くない。
それなのに、なぜ自分は、選ばなかった道のほうを、こんなにも眩しく感じてしまうのだろうか?と。
「選ばなかった道」が輝いて見える理由
これ、実は多くの後継者が、時期こそ違えど通る道なんです。
継いで半年やそこらでは、まだ目の前の業務に追われていて、こんな余裕すら生まれません。
ですが1年、2年と経ち、日々の仕事に慣れてくると、ふと「もしも」を考える隙間ができてくる。
そこに忍び込んでくるのが、この後悔ですよね。
実はこの現象には、心理学的な裏付けがあります。
心理学者トーマス・ギロビッチとビクトリア・メドベックが1994年に発表した研究に、後悔の時間的パターンというものがあります。
彼らの研究によれば、人は短期的には「やってしまったこと(行動)」への後悔が強く出るのに対し、時間が経つほど「やらなかったこと(選ばなかった道)」への後悔のほうが、むしろ強く、長く残ることがわかっています。
会社を継いだ直後は、日々の判断ミスや、うまくいかなかった交渉など、「やってしまったこと」への反省で頭がいっぱいです。
ですが1年、2年と時間が経つと、そうした個別の出来事は薄れていき、代わりに「そもそも、この道を選んだこと自体、正しかったのか」という、もっと大きな「やらなかったこと」への問いが浮かび上がってくる。
これが、まさにギロビッチとメドベックの言う時間的パターンです。
なぜかというと、行動した結果は、失敗も成功も含めて、はっきりと目の前に見えてしまうからです。
良くも悪くも、輪郭がはっきりしているわけです。
ところが選ばなかった道は、実際に何も起きていないので、頭の中でいくらでも都合よく描き直せてしまう。
もしも起業していたら?という想像の中の自分は、いつも成功していて、いつも自由で、いつも楽しそうです。
失敗した起業家の苦労や、資金繰りの恐怖や、誰にも頼れない孤独は、その想像には含まれませんから。
つまり、後継者が見つめているのは、実在しない「もう一人の自分」なんですね。
つまり、比べている相手が、そもそもフェアじゃないんです。
この「選ばなかった道」が美化されやすいという性質は、心理学では、反実仮想(counterfactual thinking)と呼ばれる思考パターンの一種でもあります。
起きなかった出来事を頭の中で作り上げ、それをあたかも起こりうる現実だったかのように感じてしまう。
この思考自体は誰にでも起きる自然な働きですが、比較の対象が空想である以上、現実がどうしても分が悪くなってしまうのです。
表で見る、「継いだ現実」と「起業していたら、の空想」
同じ「もしも」でも、片方には現実の重みがあり、もう片方には空想の軽さがあります。
並べてみると、その差がよくわかりますので見てみましょう。
| 比較項目 | 継いだ現実(今の自分) | 起業していたら、の空想 |
| 収入・生活基盤 | 一定の実績があり、生活は安定している | 描かれない(想像の中では省略されがち) |
| 意思決定の自由 | 先代や古参社員との調整が必要 | 誰にも縛られず、自由に決められる(と感じる) |
| 失敗のリスク | すでに乗り越えた実績として語られる | 具体的に想像されない(失敗する自分は描かれない) |
| 孤独・不安 | 家族や社員という後ろ盾がある | 一人で全責任を負う孤独は想像されにくい |
| 積み上げてきたもの | 顧客・信用・ブランドがすでに存在する | ゼロからのスタート(その大変さは軽視されがち) |
こうして並べると、右側の列がどれだけ「都合よく」描かれているかが見えてきます。
起業していたら失う可能性のあったもの、苦しんだであろう場面は、想像の中ではきれいに抜け落ちているんです。
どうですか?面白いですよね。
後悔の正体は、「自由の欠如」ではなく「選べなさ」
ここで、少し立ち止まって考えてみたいことがあります。
多くの後継者は、自分の後悔を「自由がないからつらい」と理解しています。
だけど、本当にそうでしょうか?
継いだ後継者にも、実際には多くの裁量があります。
値上げの判断も、新しい取引先の開拓も、社内のルール変更も、最終的には後継者の意思で動かせる部分がかなりあります。
完全に自由がないわけではないんです。
実際、先ほどの後継者も、冷静に振り返れば、値上げの交渉方針も、新しい商品ラインの検討も、自分の判断で進めてきていました。
「何もかも縛られている」わけでは、決してなかったのです。
では何がつらいのか。それは、「今の道を選び直せない」という、選択のやり直しがきかないことへの苦しさなのだと思います。
起業であれば、失敗しても畳んで、また別の道を試すことができます(現実にはそれも簡単ではありませんが、少なくとも心理的には「やり直せる」感覚があります)。
ですが、家業を継ぐという選択には、先代への義理、社員の生活、地域との関係など、簡単には「やっぱりやめます」と言えない重みがのしかかっています。
会社員が転職を考えるのと、後継者が「継ぐのをやめる」ことを考えるのとでは、まったく重みが違います。
転職であれば、周囲への影響は限定的です。ですが後継者が退けば、社員の雇用、先代の人生、取引先との関係まで、連鎖的に揺らいでしまう。
この「後戻りできなさ」の大きさこそが、後継者特有の息苦しさを生んでいるのです。
もう一段深く見ると、「自分の判断で動いている感覚」の欠如
ですが、実はもう一段、奥があります。
「選び直せない」という重さの、さらに奥にあるもの。
それは、自分の判断で、今この経営を動かしているという実感の薄さです。
私が考えた全く新しい概念で「経営深層論理(DDL)」と呼んでいる考え方があります。
経営者の判断は、3つの層で成り立っている、というものです。
一つ目は【生存論理】。会社を潰さず、食べていけるかどうかという層です。
二つ目は【信用論理】。取引先や社員、地域から、経営者として認められているかという層です。この二つは、多くの後継者が、意識的にも無意識的にも、必死で満たそうとしています。
でも、三つ目の層があります。【存在論理】。「この経営は、自分という人間の表現になっているか」という、いちばん深いところにある層です。
黒字であること(生存論理)も、周囲から評価されていること(信用論理)も、満たされている後継者は少なくありません。
ですが、「これは、自分がやりたくてやっている経営だ」という存在論理の感覚は、また別物なんですよね。
先代の決めた方針の上を歩いているだけだと、生存論理と信用論理は満たせても、存在論理だけがぽっかり空いたままになる。
「継ぐより起業だったら」という後悔の正体は、実はこの存在論理の欠如なのだと、私は見ています。
起業していたら、という空想が輝いて見えるのは、そこに描かれているのが「自分の判断で動いている自分」の姿だからです。
生存論理や信用論理の心配は、想像の中では都合よく省略されている。
その代わり、存在論理――自分の意志で選び、自分の意志で動いているという感覚――だけが、くっきりと際立って見えているのです。
自由がないのではなく、選び直せないのでもなく、この経営が「自分という存在の表現」になっているという実感を、まだ持てていない。
それが、後悔の、いちばん深いところにある正体だと思います。
それでも、ここからできること
この後悔そのものを、消そうとする必要はありません。
それは、多くの後継者が通る、自然な心の動きだからです。
ただ、向き合い方は変えられます。
まず、「起業していたら」の空想に、意図的に現実の重みを足してみることです。
もし本当に起業していたら、資金調達に走り回り、最初の顧客をゼロから探し、家族に不安な顔をさせていたかもしれません。
カフェを開いた友人にしても、話を聞けば、開業資金の借入や、客足が伸びない月の焦りなど、語られていない苦労がきっとあるはずなのです。
その具体的な場面を、あえて想像してみる。
空想が、少しだけ現実に近づきます。
次に、今の経営の中で、すでに存在論理を満たしている部分を、具体的に探してみることです。
値上げの方針、新しい商品ラインの検討、社内のルール変更。それらの判断のうち、「先代ならこうする」ではなく「自分がこうしたい」という気持ちから下したものが、実はすでにあるはずです。
それを一つひとつ拾い出していくことが、存在論理を取り戻す、いちばん確かな道筋になります。
そして最後に、この後悔を、誰かに話してみることです。
「継がずに起業していたらよかった」という言葉は、口にするのが憚られる後悔かもしれません。
ですが、これは決して珍しい感情ではありません。
同じ道を歩んできた人たちの言葉に触れることで、「自分だけがおかしいわけではなかった」と気づける瞬間があります。
先ほどの後継者も、後日、同じ立場の集まりでこの話をしてみたところ、「自分も同じことを考えたことがある」という声を複数から聞いたそうです。
一人で抱えていたときには、この感情が特別で、恥ずかしいものに感じられていた。
それが、共有した瞬間に、少しだけ軽くなったといいます。
会社は継げても、思考までは自動的には継がれません。
同じように、生存論理と信用論理を満たせても、存在論理は自動的には満たされない。
この三層をどう自分の中で満たしていくか、その具体的な進め方については、また別の記事で詳しくお伝えしたいと思います。
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ここまで読んで下さった方に。
もしも、もっと深く知りたい、或いは全体像を知りたいと思われた方は、ぜひ以下のHUB記事をお読みください。
少し専門的なところもありますが、間違いなくあなたの苦悩に方向性を示してくれるものになると確信しています。
【HUB記事】
親子間の事業承継がうまくいかない本当の理由──会社は継げても、先代の「思考資産」は継げていない

ぜひ、またお会いしましょう。
霧香ゆうひ


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